ぼくがケーキ屋で働くまでの話/三村彰の人生ストーリー

会社員

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Q:ケーキ屋で働くことに興味があります!
その道で働かれている人の人生ストーリーを知りたいです。

 
 
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「将来の夢はケーキ屋さんになりたい!」
「でも、自分でもなれるかな?大丈夫かな?」

 
と思っていませんか?
 
保育園や幼稚園の発表会でも「ケーキ屋さんになりたい!」と夢を持つ子どもは多いですよね。
しかし、ケーキ屋全体がつぶれていく時代に入っているとのこと。
 
 
 
そんな中、京都のケーキ屋「パティスリーミムラ」の2代目として働いている三村彰さん(36歳)は、店舗での営業以外にも、SNSを使ってコミュニケーションを取ったり、ネットでの販売もおこなっています。
 
 

 
 

 

 

 

 
 
そんな三村さんに現代のケーキ屋のリアルと、人生ストーリーに迫ってみました。
 
 
 

京都のケーキ屋の2代目、三村彰の幼少期


 
Q:三村さんはご実家がケーキ屋とのことですが、、、どんな子どもでしたか??
 
▼三村
末っ子なので、兄や両親の顔色をうかがいながら過ごしていました。
面倒見のいい兄でしたが気をつかってましたから・・・パシリみたいなもんでした(笑)
 
 

 

 
 
▼三村
父は当時勤めていた会社の2番手シェフだったので、チーフに押さえつけられていたこともあり、家では凄く怖かったんです。
絵に書いたような昭和の父でした。
 
家族の中でも外でも顔色をうかがったり、気をつかいながら生きていました。
 
 

 
 
▼三村
小学校から野球を始めたんですけど、中学や高校は上下関係が厳しくても嫌ではなかったです。
下手くそでも真面目に練習をしていたので先輩や監督からは気に入られていたと思います。
 
 

写真:中学生の頃(野球部)
 

写真:中学生の頃
 
 
 
Q:三村さんはご実家のケーキ屋の2代目ということですが、現在は「従業員」として働いているんですよね?お父さんと一緒に働いていてぶつかることはないですか?

▼三村
はい。従業員です。
父もだいぶ丸くなったこともあり、ある程度ぼくのことを認めてくれて好きにさせてくれてます。
 
今では父に、昔の暴君のような振る舞いをしていたことをいじったりもしますが、やはりどこかまだ顔色を見てしまうこともあります。
 
まぁ、お互いの距離感がわかっているので特にもめることはないですけどね(笑)
 
 
 
Q:三村さんはいつご実家のお店を継ごうと思ったんですか?
 
▼三村
高校3年のときです。
真面目さが買われ、野球部の副キャプテンをしていたんですけど、部員との温度差とか受験への不安もあり、高校2年の冬で野球部を辞めたんです。
「受験勉強するから」って。
 

 
 
▼三村
高校では、運良く進学科にいたのでクラスメイトはみんな有名大学に行くために予備校とかに行き始めていたんです。
 
ぼくは中学までは勉強ができる方だったので「自分は賢い」って思っていたものの、高校入ってから勉強を全くしてなかったから全くついていけなくて焦っていました(笑)
 
ぼくは次男なので、「兄がお店を継ぐんだろうな」と思っていたんですが、兄は有名大学に進学していたんです。
 
「兄が継がないなら、自分がやろうかな」とそうそうに大学受験をあきらめ、勉強や野球から逃げてケーキ屋の道に行きました(笑)
 
 

 
 
▼三村
それから、放課後に家に帰ってきてから20時頃まで実家のケーキ屋の手伝いをしてました。
この頃は雑用ばかりでしたけどね。
 
 
 
Q:ケーキ屋になるには…高校卒業後の進路ってどうすれば良いんですか?
 
▼三村
ぼくの場合は、大阪の製菓の専門学校に1年間通いました。
父からは「学校で習える事は知れてるから、お菓子屋の友達を作る気で行ってきなさい」と言われたのを覚えています。
 
 

 
 
▼三村
2世はぼくくらいで、クラスメイトはお金持ちそうなキラキラした女の子や、ちょっとヤンチャっぽい男の子が多かったのでビックリしました(笑)
 
 

 

 
 
▼三村
専門学校に通っていて感じたのは、父が言っていた通りだなと。
「教わったことはなかなか実践では使えないな」と思ってました。
 
 
 

滋賀県のケーキ屋に住み込み修行。そこで得たものとは。


 
Q:専門学校卒業後は、すぐに実家のお店で働き始めたんですか?
 
▼三村
いえ、父が「すぐにこの店を継ぐとよその味もわからないままになる。教えるのはいつでも教えるから世間を広げてきなさい」という方針だったんです。
 
それで、滋賀県のあるケーキ屋に住み込みで5年間働くことにしました。
 
 

 
 
Q:ケーキ屋さんでの住み込み修行ってどんな生活になるんですか?
 
▼三村
お店への入りは朝7時で、閉店が19時。
だいたい仕事が終わるのは22時くらいでした。
そこから同期4人とご飯を食べていました。
 
でも先輩は日が変わったくらいまで働いていましたけどね。
 
働き出して最初の2週間くらいはそんな生活だったんですけど、ゴールデンウィークに入る前から先輩たちと同じような生活になりました。
 
 
 
Q:ケーキ屋さんって年中忙しいんですか?
 
▼三村
いえ、夏はゆっくりできるんですけど、冬は忙しいです。
 
5年間修行していたんですけど最終的に同期はみんないなくなって、5年間働き続けられた後輩は1人だけでした。
 
学生の頃からの野球部での上下関係に慣れていたからか、ぼくはお店に残りました。
シンドイこともたくさん経験したけど、仕事に向かう姿勢やメンタルは鍛えられました。
 
 
 
Q:ケーキづくりについても学べましたか?
 
▼三村
はい。もちろん基本の作り方や技術、お店のレシピは習う事ができました。
ただ製菓理論までは習うことができませんでした
 
この頃は、今みたいに情報が開かれてないからケーキとか製菓の理論はあまり学べなかったんですよ。
ぼくもレシピが有ればつくれたから細かいとこまでシェフに聞いたりもしなかったんです。
 
この時は、レシピをたくさん教えてもらえました。
 
朝は6時頃にお店に行って先輩方の計量や下準備をしておけばその分、先輩は手があくじゃないですか?
他の同期よりも教えてもらうために、先輩の時間を作って教えてもらいました。
 
 
 

実家のケーキ屋で働いて感じた将来への不安


 
 
Q:滋賀での5年間の修行を終えて、実家のお店で働くようになるんですか?
 
▼三村
そうです。24歳の時に結婚して実家のお店で働くようになりました。
 
最初は「5年間も修行したし、習ったレシピもある!」と思ってたんですけどさっき話したとおり、製菓理論がわからないから新しいケーキを産み出すことができなかったんです。
 
お客様からしたら、
「若いシェフが帰ってきた」
「今までとはちがうケーキも増えた」

と似顔絵ケーキなども好評で、働くほど売上は伸びていきました。
 
でも、「既存のケーキをアレンジはできても、製菓理論のないぼくはいつかアイデアが底をつく」と将来の不安を強く感じていましたね。
 
 
 
Q:なるほど、不安な気持ちを抱えながら先のことを考えていたんですね。
 
▼三村
自分自身のことを客観的に見ると、ぼくは全国的に有名なお店で修行したこともないし、フランスとかに勉強にいったこともないし、コンテストで優勝したこともない。
 
だから自分に自信がなかったんです
 
それなのに周りやお客様からはチヤホヤされていて、「ケーキおいしい!」と言って頂けるので・・・悩みました…。
京都にはお菓子仲間もいないし語れない。この時の5年間が人生で一番悩んだ時期です。。。
 
でも、29歳の時に転機があったんです。
 
 
 
Q:どんな転機だったんですか?
 
▼三村
29歳の時に「京都洋菓子協会」の理事に選んで頂けたんです。
 
理事長の息子さんと付き合いがあったんですが、理事長から「青年部を立ち上げたいから手伝ってほしい」とオファーがあったんです。(結局青年部の話はすぐになくなったんですが。笑)
 
 
 

 

写真:協会での写真
 
 
▼三村
理事会に所属されてるのは、50代の方が多く、ケーキ作りのことやいろんな情報を共有して頂けました。
その方々のお店で働いている若い従業員の皆さんとも話せるようになり、すごく気持ちがラクになりました。
 
ご縁ってホントに大事ですよね。
 
でも当時のぼくは、人付き合いが得意かというとそうじゃなくて、「引っ張ってもらったら行く」というタイプした。
そこでのご縁がまた次につながって行くという感じで、すごくありがたかったです。
 
 

写真:協会でお菓子教室を開いた時
 
 
 

ある1冊の本が、「自分」を発信していくキッカケになった


 
Q:悩みを語れる場所ができてからの、将来の不安についてはどう感じていましたか?
 
▼三村
売上は伸びていくものの、ケーキ屋全体がつぶれていく時代になってきていて、「これから何をしたらいいんだろう?」とすごく考えてました。
 
2018年に入った、35歳の時に「ある一冊の本」に出会い、これからは自分のことを発信していく必要があるんだなって思ったんです。
 
 
Q:自分のことを発信していこうと思ったキッカケになったその本とは?
 
▼三村
2018年の2月頃、吉本興業の舞台監督をしている後輩がいたんです。
その彼がキングコング西野さんの話をしていて、『革命のファンファーレ』という本を勧めてくれました。
 
 

 
 
▼三村
読んでみると、「自分のことを売っていくってこういうことなのか!」と思えるようになりました。
 
あと、大阪の平野にある入船温泉がレターポットで入浴代を支払えるようにしたということを知り、界隈で有名になっていたこともあり、ケーキ屋としてのあり方を考えるようになりました。
 
 

 
▼三村
そこで、「レターポットユーザーにはお菓子をプレゼント!」という企画をしたんですね。
 
 

※レターポットとは、1文字5円で購入したポイントを使って、気持ちを伝えたい相手に手紙(レター)を贈ることができるサービスです.

 
 
▼三村
最初は誰からもリアクションが来なかったのですが、前出の後輩がTwitterで拡散してくれたら流れがかわったんです。
いろいろな人と繋がることができたり、来店して頂けたんです。
 
そしたらまたぼくやお店やケーキのことを拡散してくださったんです。
この経験からSNS上でやり取りするのが楽しくなり、Twitterを本格的に始めるようになりました。
 
 
 
Q:自分の想いや活動を発信して変化したことはありましたか?
 
▼三村
まず、西野さんを好きな人たちとつながっていきましたね。
当時は京都にスナックキャンディもあったし。
 
 

写真:京都の烏丸御池にあったスナックキャンディ京都にて
 
 

写真:オーナーだったぬまっちの30歳バースデーで贈ったケーキ
 
 
 
▼三村
正直、実家のお店はできてから20年経っているので、お店の外観のことも気にしていたんです。
「オシャレな外観だと良いのかなぁ」とか・・・。
 
でも、「自分発信」をする中で出会えた方々は、郵送でも買ってくださったので、外観とか気にしなくなりました。
ネットで顔が見える人たち、特定多数の方々との繋がりで気づけたことです。
 
 
 

 
Q:どんなふうにPRしたりチャレンジをしたんですか??
 
 
 
▼三村
この業界、すごい数のケーキ屋があるので、ネームバリューはとても大事だと思うんです。
自分が作ったケーキを食べてもらったり、職業訓練校の講師をしている身としては、「コンテストに出て受賞することは、とても大事だな」と思い、チャレンジしました。
 
 

 

 

 
 
▼三村
あと、2018年のバレンタインで「トリュフを全国の人に食べてもらいたい」と思ってPRをがんばりました。
結構大変でした。
 
 
 
Q:PR活動はバレンタインの時期だけじゃなく長期間おこなったんですか?
 
▼三村
そうです。
バレンタインの時期だけじゃなくて、前年の4月頃まで遡って準備をしていたんですよ。
4月頃からどんなものを作るかを考えたり、試作をしてみたり。10月にはホームページをリニューアルをして。
 
冬やクリスマスがすごく忙しいので、早くから計画的に準備しておかないとこういった企画はできないんです。
 
その結果、北海道から鹿児島の人まで買ってくださったので、おかけ様で前年比の8倍ほどの成果を出すことができて、すごく嬉しかったです。
 
 
 

今後の夢・目標


 
▼三村
ぼくのミッションは、「ケーキで人を笑顔にすること」。
ビジョンは、「子どもたちがケーキ屋になりたいと思えるお店を作ること」です。

 
「将来はケーキ屋さんになりたい!」と子どもたちがキラキラ言っていますよね。
リアルな話をすると、「大変だからなってほしくない、継がせたくない」という人が多いです。
店をたたむところも多いし。
 
ぼくも自分の子どもが「ケーキ屋になりたい」と言ってきたら、100%心から応援できるかというと心配なんです。
 
先ほども言いましたが、ぼくは有名なお店で修行したこともないですし、海外に勉強しにいったこともないし、まだコンテストで優勝したこともありません。
 
でも、そういう自分に自信を持ちたくて、コンテストに挑戦したり、新作のケーキを作り続けています。
そういうチャレンジを通して子どもたちに、「大丈夫!ケーキ屋になりたいならなろう!」と言えるくらいに、自分自身がキラキラ働いていきたいと思っています。
 
おいしいケーキを作ることはもちろんですが、活動もしっかり伝えて「こんな人がいるんだ!こんなケーキ屋があるんだ!」と知って頂けるようにがんばっていきます!
 
 
 

三村彰プロフィール

京都にあるケーキ屋「パティスリーミムラ」の従業員として勤務。
高校3年生の時に実家のケーキ屋を継ぐことを決意。
その後は製菓専門学校、滋賀県のケーキ屋での修行を経て、24歳から「パティスリーミムラ」での勤務をスタート。
ミッションは、「ケーキで人を笑顔にすること」。
ビジョンは、「子どもたちがケーキ屋になりたいと思えるお店を作ること」。