私が僧侶になるまでの話/伊達智子の人生ストーリー

経営者

, , ,

Q:僧侶、住職として働いている人の人生ストーリーが読みたいです。
医療・福祉経験のある方だとさらにうれしいです。
 
 
******
 
「世間や他人の目を気にして、自分らしく生きられていない」
「親の言うことに逆らえず、夢に向かって挑戦できない」
 
そんなふうに悩んでいませんか?
 
 
そう悩んでいる人に、「あなたはあなたでいいんだよ」「やりたいことができる社会を作りたい」という想いを持って活動している人がいます。
 

 
看護師兼僧侶、自らをナースボーズと呼ぶ、伊達智子さん、46歳。
 
元号が平成から令和になった2019年の10月20日、滋賀県の田舎にある実家の寺の住職を継職されました。
 
幼少期からの経験から、住職になるつもりはなかったという伊達さん。
どんな出来事があったことで価値観が変わり、このタイミングで住職になったのでしょうか?
 
その人生ストーリーに迫ってみました。
 
 
 

なぜ伊達智子は看護師になったのか


 
Q:伊達さんは今看護師をされてますよね?いつから看護師を目指すようになったんですか?キッカケなどあればお聞きしたいのですが。
 
▼伊達
12歳の時に、父から「将来は何になりたいんや?」って聞かれたときに、保母さんって答えたんですよ。
 
本当は考古学者になりたかったんですけど、反対されて(苦笑)
母が保母さんだったのもあってそう言ったら、「これからの時代は子どもの数が減るぞ」って反対されて、「じゃあ看護師」って言ったら「まぁいいか」という感じで。父も薬剤師で医療系だったし、「看護師は女性の仕事として自立できるから」と応援してくれました。
 

 
 
▼伊達
それが看護師を目指すようになったきっかけですね。
 
それまで特に病気や入院もしたこともないです。成績も生徒数400人のうち100位くらいで、自分に取り柄がないのをわかってたんで、「看護師だなぁ」って思ってました。
 
 
 
Q:自分の意志をあまり聴いてはもらえなかったんですね。子どもの頃は、あまり自分に自信がなかったんですか?
 
▼伊達
はい。父と母は地元の名門校に通っていたんですよ。
 
2人妹がいて長女だし「おねえちゃんなんだからしっかりしなさい」とか、「お寺のともちゃん」って見られながら育ちました。
今思えば母もお寺のお嫁さんとしてプレッシャーがあって、必死でした
 
とにかく学生時代はストレスがすごくて、めっちゃ食べてましたよ。
私もプレッシャー感じてたんですね。
 
太っていて、、、それもまた見た目への自信がなくなっていくという。。。
 
中学3年生の時、164cmで78kgくらいありましたからね。
 
 
 
Q:そうだったんですか、周りと比べられたりで、家にいるのも結構しんどかったんですね。
 
▼伊達
そうです。今思えばね。
 
中学・高校とブラスバンド部に入ってたので、そこが居場所というか・・・楽しかったです。
部活一色で勉強しない生徒でした。
 

 
 
 

「お寺に縛られ続けた」と思っていた日々

 
▼伊達
高校卒業後にとにかく家を出たかったので滋賀の家から出て京都の舞鶴の看護師の専門学校に入ろうと思ってたんですけど、不合格になってしまいました。
 
滋賀県立総合保健専門学校っていうところに進学して・・・看護師になったら家を出て行こうと思ってました。この頃は、164cmで96kgありました(笑)
 
 

 
 
Q:お寺の学校に行かないことに関しては反対はなかったんですか?
 
▼伊達
母は泣いてましたね。
お寺ファーストだったので。
 
龍谷大学とか相愛大学とか、浄土真宗の学校に進学してもらいたかったようです。
女性だったら僧侶の方と結婚して母のように坊守(お寺の奥さんで裏方)をすると言うのがスタンダードな道なので。
 
でも、父が「女性としての自立が大事や、寺の勉強は40歳からで良い」と言ってくれて。
そこは理解してくれたんですけど、付き合う人はいずれはお寺にふさわしい人、理解ある人と伝えられるようになって・
 
理想はお寺の息子で婿さんに来てくれる人。
 
「恋愛も不自由なのか、、、寺のために自分が犠牲にならないといけないのか」とすごくヘコんだのを覚えてます。
 

 
 
▼伊達
あと、専門学校を卒業して就職するときも、「家から通えるところにしなさい」と言われて実家から通いました。
 
職場が合わなくて、、、新興宗教に誘われたりパワハラを受けたりで1年ほどで辞めて、そのあとはひきこもりましたね。
 
 

 
 
Q:その状態からどうやって立ち直っていったんですか?
 
▼伊達
メンタルがすごく落ち込んでたんで、「患者さんと一緒に自分も復帰していこう」と思って、精神科病院で働くことにしました。
 
 
 

夫が実家から私を連れ出して様々な世界を見せてくれた


 
▼伊達
そこは職場環境も人もよくて、働けることが自信になっていきましたね。
 
その頃に友人の紹介で夫と出会って…。この時は、「また両親から反対されるだろうな」と思ってたので、結婚する気はありませんでした。
 
でも、夫が「ずっと一緒にいたいねん」って言ってくれて。
普段はそんな情熱的な人じゃないんですけど、父と母に挨拶にきてくれて、結婚することになりました。
 
 

 
 
▼伊達
そこで、「やっと家から出られるんだ」って思いました。
結婚を許してくれた両親には感謝してます。
 
 
 

幼少期から苦しんだ実家からの脱出


 
Q:念願の家の外へ…!
 
▼伊達
そう!滋賀から京都の長岡京で暮らすようになって、26歳の時に長男、27歳の時に次男が生まれていきました。
 
でも、27歳の時に長男が検診の時に障害があることがわかって。
 
「私は前世に何かしてしまったのか?」
「寺を継がなかったから罰?」

 
とか、、、今思うと当時の自分を殴りたいくらいなんですけど、そう思ってしまっていて。
心中を考えていました。
 
夫と子どものことについては、以前に取材してもらった「ストーリー記事」を読んでもらったらより深くまとまってます。
 
この頃ね、夫もその時仕事で忙しくて相談できなくて、市役所の保健師さんに怒りをぶつけてしまったんです。
 
「私はどうせアカン子をもつアカン母親です!」って。
 
それなのに保健師さんはしっかり話を聴いてくれて、、、療育園に行ったら「私一人じゃないんだな」って感じたんです。
 
そういった経験から、1年くらいかかったものの長男に対して「この子はこの子で良いんだ」と思えるようになっていきました。
 
 

 
 
Q:看護師としては、いつ頃に復帰されたんですか?
 
▼伊達
大阪に引っ越して、29歳の時ですね。
週4でパートで働いてました、定時で帰れるように。
 
ここで、次男も検診で障害があることがわかったんです。
でも、「2人とも同じなんだ、むしろ比較しないで良い」と受け止められました。
 
それで働きながら子育てをして・・・でも、30歳の時に夫がリストラにあったんです。
契約社員として再就職してくれたんですけど、収入が減ったことと前年度計算で保育料とか計算されるので、めっちゃ苦しかったんですね…。
 
役所にも相談に行きました。
その時にすごくしっかり話を聴いてくれて、相談に乗ってくれました…ありがたかったなぁ。
 
 

 
 
▼伊達
そういう経験をしていたから、31歳の時に福祉の通信制の大学に通うことにしました。
「公務員になろう」と思ってね。
 
子どもも福祉の制度を使わないと生きていけないので親が勉強しようと思って。
めちゃくちゃ大変でしたけど、楽しかった。
生活を安定させたかったんです。
 
 

 
 
Q:なるほど、どんな職種の公務員になろうとしたんですか?
 
▼伊達
社会福祉士になろうと思ってたんです。
 
大学卒業後に資格は2度目で国家試験合格しました。
そこに通っている間に夫が正社員になって、生活は少し落ち着きました。
 
でも、私が36歳の時に公務員試験を受けようと思ったら年齢制限でアウト!
受験できなくて、それからは子育ての関係で週2でパートに出て夫が休みの日に私が仕事に行ってました。
 
 

 
 
▼伊達
そこから2年間くらいはそんな生活だったんですけど、38歳の時に夫が二回目のリストラにあってね。
この時に、夫と役割を交代したんです。
 
夫が専業主夫になって、私がフルタイムで看護師として働くことにしました。
当時は、精神科病院急性期病棟に勤務していたんですけど、生育歴がすごい急性期の患者さんが次々にくるところでした。
 
 
▼夫との役割の交代を綴った人生ストーリーは下のリンク先から
「男」としてより「人」として。 専業主夫 伊達功一の人生ストーリー
 
 
 

伊達智子を僧侶の道に進めた、ある出会い


 
Q:この時はまだ住職になろうとは思ってないですよね?価値観が変わった、印象に残っているエピソードってありますか?
 
▼伊達
ある患者さんでね。
児童養護施設で過ごして、社会に出た後は生活保護を受けている人がいたんです。
 
もともとお父さんと住んでいたけど、お父さんが亡くなって、継母からイジメられてて、手はタバコの根性焼きがあって。
自傷行為がすごくて顔以外全身にリストカットをしていました。
 
退院後、でもデイケアを通いながら1人暮らしをして彼氏もできて暮らすことができたんです。
その彼氏が私が勤めていた病院に入院してきて。その彼氏とその子が大ゲンカをした一週間後に、その子は家で亡くなってたんです。
 
大量服薬でね。
一週間誰にも見つけられなかったんですよ。
誰にも看取られずに亡くなったんです。
 
見つかった時は遺体は腐敗が進んでいて。
私はもう悲しくて、泣いてしまって。
 
「この人は生まれてきて良かった」って思えたんだろうか、「生きていてよかった」と思う瞬間があったのだろうかと。
 
「医療でも福祉でも救えない。解決するには、、、仏教なのか・・・」とその時に腹落ちしましたね。
 
「子育て落ち着いたら僧籍いただきたいな」と妹に伝えてたんです。
 
そう思って生活していたら、40歳の時に、父から1通のメールが入ったんです。
 
 
 
Q:お父さんからのメールにはなんて書いてあったんですか?
 
▼伊達
「住職になってくれませんか」って書いてありました。その時は何の拒否なく受け入れる自分がいました。ホントに自分でも不思議で。
子どもの頃はずっと寺が嫌いだったんですけど、医療・福祉の世界と子どもが生まれて、いろんな体験をしてきたことで価値観が変わったんでしょうね。
 
それにお寺を出て客観的にみることができて、お寺を中心としたコミュニティや仏の教えを勉強すると、お寺っていいところだなぁと感じました。
何であんなに毛嫌いしてたんだろ(笑)
 
 
さっき話したけど、「お寺の勉強は40歳からで良い」って父が言ってたでしょう?
すごくないですか?
 
それで、住職になるために、妹とともに中央仏教学院というところに3年間学びに行きました。
またもや通信制。
学びの合間に自死問題に取り組んでいるボランティアにも関わらせていただきました。
 
その間に、11日間、得度習礼(とくどしゅらい)を受けて僧籍をいただきました。
 
 

 
 
Q:住職になろうとする修行って・・・どんなことをするんですか?
 
▼伊達
浄土真宗って修行がないといわれてるのですが、朝5時半に起床して、スマホなし、テレビなし、新聞なしで過ごして、夜11時には就寝するっていう感じですね。
 
その間は一切自宅に電話もできません。
仏と向き合う、自分と向き合うことを徹底的に行う毎日でした。
 
指導員が怖くて怖くて、怒られまくり。
お経のリズムがダメとか、音程がダメとか。キツかったけど仲間との出会いがあって救われましたね。
 
11日間家をあけたんですけど、、、夫は住職になることを反対してたんですよ。
「ずっと寺にいないといけないんやろ?」って。
そんなことはないから(笑)
 
中央仏教学院卒業してから、今度は教師教修ということで10日間同じスケジュール。
住職させていただこうとすると受けないといけない教修ですね。
内容はグレードアップしましたが、僧侶としての覚悟というかそれがあったので気持ち的にはましでした。
 
 
 

20年以上、寺に背を向けてきた自分を受け入れてくれた人たち


 
Q:実家を長い間はなれての住職継職ということですが、心境は?どう感じていますか?
 
▼伊達
46歳で、令話元年の10月20日に住職を継職させていただきました。
10月22日は、即位礼正殿の儀もあって・・・すごいタイミングですよね。
 
人生って何が起こるかホントにわからないものです。
 
20年前、まさか自分が僧侶になるとは思わなかった
お寺の住職になるとは微塵も思わなかった
20年前、誰がそのことを予想していてのだろうと考えると、ご縁というのは不思議やなぁと実感します。
 
これまで20年以上、寺に背を向けてきたんですけど、父と母は全く変わらずに支えてくれていたこと。妹たちも支えてくれた。
すごく大変なことですよね。
 
 

 
 
▼伊達
父母だけじゃなく、ご門徒(もんと)様も一緒に、町をあげてお祝いしてくれたんです。
住職継職の法要をさせていただいた時に。
 
門徒様は、今60~80代の方々が中心となって支えてくれてます。
「ギブ&ギブ」で、寺のために奉納し続けてくれていてみなさんと一緒に頑張りたい、子どもから人生の先輩までからいろんな世代の人に来てもらいたい。
 
父、そしてご門徒様から
『ともちゃんの好きにすれば良い』と声をかけていただきました。
 
お互いに出会って話してもらったり、一緒に体験するイベントをしていきたいです。
 
「仏教は生きる人のためのもの。寺はみんなのもの。いろんな生き方、死に方、人の苦しみを知った上で、あなたは僧侶になるのです」と阿弥陀様が導いてくださったのかなとお念仏いただいてます。
 
まさに私の人生はそうだったなぁと。
まだまだですけどね
 
幼少期は自分の環境が苦しいと思ってたんですけど、
 
「自分の環境に恵まれていることに感謝する」
 
その気づきをいただきました。
この稀有な人生を歩むことにご縁いただきました。
有り難いことです。
 
僧侶になると決意した日から両親をはじめ、妹たち、夫、子どもたち、ご縁いただいた方々に応援してもらい、助けていただきました。妹たちにもいろいろ支えてもらって、励ましてもらったり。
感謝で私を包んでもらってます。
 
そして阿弥陀様は私がお念仏をいただいている時も
背を向けている時も決して見捨てることはなく見守ってくださった。今後も様々なご縁いただき全力で歩んでいきたいです。
 
 
 

今後の夢・目標について


 
▼伊達
さっきも言いましたけど、寺は僧侶のものじゃなく、みんなのもの。
いろんな世代の人にお寺に来てもらいたいです。
 
特に、義務教育が終わった高校生に会いたいですね。
自分からライブや映画に行ったり、「〇〇したい」とか思う時期じゃないですか?
 
お寺だからこそ、自分と向き合える機会とか体験をしてもらえるかなって。
門徒様と話し合って、2020年からそんな事業をしたいことを伝えて、寺で自分と向き合う1泊2日のプログラムとかやっていきたいですね。
 
そして感じるのは生きるって苦しいことばかり。
その中で、あなたはどう生きたいですか、過ごしたいですか?ワクワクしたいですか?
看護師としても僧侶としても、皆さんに人生の主導権を自分に持ってもらうきっかけづくりをしていきたいですね。
 
HACが目的とする自尊心ですね。
がんばりますよー!
 
 
 

伊達智子プロフィール

滋賀県にある寺の実家に生まれるも看護師となり、その後に夫と結婚して実家を出る。
精神科病院の看護師として働き、医療・福祉では救えない人の存在を知っていく中で住職となることを決意。
令話元年の10月20日に住職を継職。現在、看護師兼僧侶(ナースボーズ)として活動中。