ぼくがデイサービスを立ち上げるまでの話/金児大地の人生ストーリー

経営者

Q:医療職として働くことに興味があります。
特に理学療法士として働いている方の人生ストーリーが読みたいです。

 
 
 
********
 
「もっと患者さんと向き合って仕事をしていきたい」
「でも、”縦社会”の病院の経営方針に馴染めないし、違和感を感じる」
 
そんな風に悩んでいませんか?
 
 

 
理学療法士であり、株式会社familink を経営している金児(かねこ)大地さん(32歳)も、過去にそんな気持ちを抱えていました。
 
新卒で病院勤務を1年間経験した後、ベンチャー企業の立ち上げや、病院内の訪問リハビリ事業の立ち上げを経て、現在独自のデイサービス事業を展開されています。
 
 
デイサービスの事業を通じて
「1人で悩まない社会づくりがしたい」
「まちを元気にしていきたい」

と話す金児さん。
 
その人生ストーリーに迫ってみましたので、理学療法士や医療職として働いていこうと思っている人は、これからの働き方・生き方の参考にしてみてはどうでしょうか?
 
 
 

金児大地が理学療法士を目指したキッカケ


 
Q:なぜ金児さんは理学療法士になろうと思ったんですか?
 
▼金児
高校3年生の時に、母から「関関同立の大学以外には行かさへんで!それか手に職をつけや!」とキツく言われてる時に、姉から「理学療法士になったら?就職難はないよ」と言われたことがキッカケですね。
 

 
 
▼金児
高校に入ってからバイクに乗ったりバイトばっかりやってたんで、授業中はほとんど寝てたんです。
進級が危ぶまれるくらいでした。
どれくらい酷かったんかというと成績は最下位から10番目(290/300位)。
 
 

 
▼金児
「理学療法士になるにはどんな学校に行けば良いんやろ?」と思って調べてたら、当時はどこも倍率が高かったんです。
心を入れ替えて5月から1日5時間以上勉強する生活になりました。
 
受験では日程が被らないように8つの大学を受験しました。
試験は想像以上に厳しく次々に落ちましたが、なんとか現役の3月に四条畷学園大学に進学することができました。
 
 

 
Q:なるほど。特に理学療法士の人と関わってその道を目指したわけじゃなかったんですね?
 
▼金児
そうです。
幼少期からアトピーだったので、病院には母としょっちゅう通ってましたけどね。
病院や医療職の人と関わって強烈な影響を受けたわけではないです。
 
 
 

金児大地の幼少期〜中学時代


 
Q:そうだったんですね。ちなみに、金児さんはどんな子どもだったんですか?
 
▼金児
大阪で生まれて、厳しい父とおおらかな母と3つ年上の姉との4人家族で育ちました。
 
 

 

 
▼金児
父のことは尊敬していたし、母のことも好きでしたが、綺麗な姉と比較される事もありアトピーのことでコンプレックスがありましたね。
 
園児の時は、体操をして体を動かしていたのでアトピーもマシだったんですけど、小学校に入ってからは運動をしなくなってマリオカートとかゲームばかりしてインドアに過ごしてたんです。
 
なので、アトピーもひどくなってました。
 
 

 
Q:部活はやってましたか?
 
▼金児
「メジャー」や「スラムダンク」とかスポーツの漫画が好きだった影響から、9歳の時に野球を始めました。
小学校高学年にはレギュラーで副キャプテンになることができたことや、くもんで成績上位にもなれたので自信が付いていきましたね。
 
 

小学校時代の野球チーム”いぶき野ボールパークス”にて
 
 

中学校時代の和泉市立北池田中学校野球部での写真
 
 
 
▼金児
あ、でも中学の時にアトピーがひどくなって彼女に振られました…。(笑)
思春期の見た目に関するコンプレックスは大きかったです。
 
 

大学時代に経験した、人生の谷底


 
Q:なるほど、高校に入ってからは先ほど話していただいた通りですね。大学はどんな風に過ごしていたんですか?
 
▼金児
大学に入ってからはまた遊び回ってました。(笑)
テストを毎回ギリギリでクリアしながらバイト・車・パチンコという生活を送りながら学生生活を楽しんでましたね。
 
しかし、大学3回生の時に人生で一番キツイ、谷底を経験したんです。
 
 
 
Q:それは・・・理学療法士を目指す上で避けられないことですか?
 
▼金児
はい。2週間の現場実習があったんです。
 
その実習先の方から「使いものにならん!」と怒られながら指導をたくさん受けました。
これは本当に辛かったですね。
 
1人暮らしだったこともあり、うまく相談もできませんでした。実習の最後4日間は家から出る事ができず、行けなくなりました。
 
精神状態も悪化し、どうしようもなくなり母と姉が迎えに来てくれたんです。
なんとなく過ごしてきた私にとって初めての大きな挫折でした。
 
「もう辞めようかな」
「でも親に申し訳ない」

 
と思いながら、留年・休学しました。
思い出すのも辛い、本当に苦しい経験でした。
 
 

 
Q:なるほど、現場実習は必ず通る道なんですね。今は理学療法士として働いているということは・・・そこからどう復活したんですか?
 
▼金児
実習を途中でやめ、途方にくれていた時、高校の同級生だった島名くんが家まで来てくれて
 
「ここで辞めたらおしまいやで、逃げ癖がつくで!」
 
と言ってくれました。
あの時の事は鮮明に覚えています。
 
その後、復学してまた実習に向けて頑張ることにしました。
彼の言葉がなければ本当に大学をやめていたんじゃないかと思います。
彼にはこの話をしたことがないんですが、いつか心から感謝を伝えたいです。
 
 
 
Q:復学後の現場実習はどうだったんですか?
 
▼金児
苦戦しましたが、なんとかクリアすることができました。
その後、大学4回生の時に、2ヶ月の実習が2回あったんですけど、その時も結構辛かったですね……後が無いという思いもあり、根性で乗り切りました。
 
でも、残念ながらその実習の結果は「合格」ではなく「保留」。
 
学校からは夏休みに2週間の「追加実習」を受けるように言われました。もう無心でやってましたね笑。
 
そして、ギリギリ合格しました。
「ついに終わった!」と思ってたんですけど、、、
 
 
 
Q:え?何があったんですか?
 
▼金児
学校の評価が厳しくて「このままだと留年だぞ」と言われました。
 
ショックでしたが当時の自分を振り返ると無理もないんです。
 
遊び呆けていたので、理学療法のことも深く理解してないし、知識も熱意も中途半端。卒業するためだけにやっていたような感じで、言われたことも素直に聞けない人間だったんです。それでもなんとかなるやろうって、要するにナメてたんですよね。
 
本当にどうしようもない学生だったと思います。(笑)
 
色々ありましたが先生と話し合いをした末、卒業することができました。
 
 

 
Q:良かったですね!理学療法士って国家資格ですよね?その試験は受かってたんですか?
 
▼金児
はい!国家試験には受かりました。
就職することもできて、4月からは「とりあえず病院勤務」という感じで働き始めました。
 
 
 

病院勤務で感じた、自分のホンネと価値観


 
Q:理学療法士として初めての勤務先ですよね。病院勤務はどんな感じでしたか?
 
▼金児
ここでは指導してくれる先輩とあまり合わなくて、しんどかったですね。
 
ぼくは、
「自分でなんかやりたい!」
「言われるよりも自分で決めたい!」

という価値観を持っていたんです。
 
新人で仕事も出来ないのに生意気なことを言ってたので、リハビリテーション科の課長や係長ともよく言い合いになりました。
 
でも、患者さんからは好いてもらえていたし、病棟のスタッフ(介護士.看護師.医師)には可愛がってもらっていました。よく仕事終わりに飲みにも連れて行っていただき、この人間関係に救われてましたね。
 
 

病院勤務時の先輩やスタッフ達と
 
 
▼金児
妻も理学療法士なんですが、同期入職で出会って、付き合って3ヶ月後にはプロポーズしました。笑
 
それぐらい「この人だ」と、付き合ってすぐに確信しました。
妻は僕がやりたいことを理解してくれて、「やれることあるよ!患者さんから好かれてるし大丈夫!」と励ましてくれて、転職することも応援してくれました。
 

 
 
Q:なるほど。金児さんの場合、縦社会の病院勤務が合わなかったんですね。次はどんな仕事をしたんですか?
 
▼金児
大阪市の鶴見区で訪問看護のベンチャー企業に転職しました。
「これでダメなら理学療法士を辞めよう」と覚悟してましたね。
患者さんがいなかったので、営業活動からのスタートでした。
 
 

 
▼金児
当時の僕は、営業活動の方が精神的には前向きになれていました。そこで少し成果が出せたのもよかったです。これが初めて仕事の中で得た成功体験でした。そこからいろんな仕事や理学療法の勉強にも力が入り、徐々に訪問現場でもうまく仕事ができるようになってきました。
 
この職場での経験はターニングポイントだと思います。
外に出た事で良い出会いにも恵まれました。
 
営業中に出会ったケアマネジャーさんで福居さんという方がいらっしゃるのですが、この方には他事業所なのにかなり良くしていただきました。
 
今も続けている「手つなぎ会」という多職種勉強会があるのですが、これは福居さんと一緒に立ち上げました。
参加者が誰も居なくても僕と2人で「あーでもないこーでもない」と親身に話してくださり、本当に素晴らしい方です。
 
今は大阪にはいらっしゃらないのですが、いつか必ず恩返ししたいと思っています。
 

 

福居さんと立ち上げた勉強会”手つなぎ会”の参加者の皆さんと。
 
 
 
Q:その後、理学療法士としてのスキルアップや経験もつけていったんですか?
 
▼金児
当時24.25歳でしたが、しょっちゅうセミナーに行ってましたね。
「自分が診ている利用者さんを少しでも良くできないか」という思いからでした。
 
「肩が動かない人がどうやったら肩が上がるようになるんだろう?」とか思いながら徒手(としゅ)療法などのテクニック的なものを学んでました。
 
当時の職場には前田さんという先輩セラピストがいらっしゃったのですが、この方の存在に救われました。
 
呼吸リハを専門にされる理学療法士で、私にとってお手本のような先生でした。
当時は前田さんのようになりたい。
前田さんのように地域から信用されるセラピストになりたい。
と常に思っており、話し方や接し方を真似をするところから始めました。
 
この頃からリハビリテーションに対する向き合い方が変わったと思います。
仕事をしてきた中で一番の恩人です。
 
 

先輩の前田さんと
 
 
 
▼金児
その企業で3年働いた時に、長男が誕生して、将来起業をすることを考え始めました。
その時に自分が主催する勉強会に参加してくださったとある病院のオーナーから「訪問リハビリ部門を立ち上げるから金児くんやってくれないか?」と声を掛けてもらったんです。
 
起業に向けてのステップと思い、転職を決断しました。
「チャレンジしよう」と思ったその矢先に父が亡くなったんです。
 
 
 

「人生をどう生きるか」を考え、起業の道へ


 
Q:そうだったんですか。突然の知らせですよね?
 
▼金児
はい。父は住宅販売のトップセラーになるくらいの営業マンで、仕事はもちろんそれ以外のこともなんでも出来てしまうような人でした。
 
ただそのきちっとした性格が災いしてか、ぼくが大学生の頃から病気になっていて、母もずっと配慮してたんですけど。。。
あの日の電話は忘れることができません。
 
その事があってから私自身にもパニック発作が出るようになりました。
この時に「人生をどう生きるか」とすごく考えるようになりました。
「人はいつ死ぬかわからない。自分がやりたいと思ったことをしよう」と改めて起業に思いが向きました。
転職先のリハビリ部門の立ち上げのスケジュールは決まってたので、仕事に夢中になれることはありがたかったです。
 
これはオーナーから声をかけていただけていたおかげです。
 
 

 
▼金児
またこの経験をきっかけに私のような人を救うお手伝いをしたいと思い、ビジュアルリフレーミングというカウンセリング手法を創始者の渡辺賢治先生の元に学びに行きました。
 
 

ビジュアルリフレーミングは、感情をガイドにして、「気」を整えるヒーリングです。得られる効果としては、対人関係を改善し、過去の自分を精算し、痛みを和らげます。またアトピー、PMSや生理痛、更年期障害にも効果があります。

 
 
▼金児
現在はビジュアルリフレーミング協会公認のトレーナーとして、個人に対するカウンセリングも行っています
 
 

ビジュアルリフレーミング協会の創始者の渡辺先生と
 
 
 
▼金児
父の死によって、
・「理学療法士」という職業による身体機能を良くする事に対する意識が高まった
・身体と同様に心のケアも大切だと認識した
 
私にとってあまりにも大きな出来事でした。
 
 
 
Q:お話しいただきありがとうございます。金児さんが会社を設立した経緯について教えてもらいたいんですが。
 
▼金児
病院での訪問リハビリの立ち上げの経験を経て、改めて自分で独立してやってみたいと思うようになりました。
 
「もっと自分にできることは?」
「本当にやりたいことは何か?」

 
と考えるようになり、当時の病院のオーナーの後押しを受け起業をする事を決めました。
父の死を経験し、迷いはありませんでした。
 
ちなみに社名につけたfamilinkという屋号は、
“どんな人も自分の家族のように向き合うこと”
“自分の家族にも受けてほしいサービスを提供すること”

この2つ理念を元に、”family”と”link”を合わせたものです。
 

 

 
Q:デイサービスの事業を展開されていますよね?なぜデイサービスの事業をしようと思ったんですか?
 
▼金児
新しいことを初めようにもなかなか1人だと難しいじゃないですか?
 
医療法人で訪問リハビリの事業をしようと思うと、医師が必要だし、訪問看護ステーションの事業をしようと思うと看護師が3人必要なんですよね。
これが障壁になってました。
 
悩んでいる時に他地方で活躍するお知り合いの理学療法士さんが経営するデイサービスを見学させていただく機会があり、ここで衝撃を受けました。
 
利用者さんたちが本当に生き生きと運動をしていたんです。
その姿をみてこれはとてもいい仕事だなと。
 
理学療法士のいるデイサービスのニーズはすごくあるんですが、僕の活動する地域にほとんどなかったんです。
 
この状況をみて「じゃあこの地域で私がやろう!」と決意が固まりました。
デイサービスの事業は、人員の基準も比較的優しいですし理学療法士の資格も活かせる。「これだ!これが自分のできることで、やりたいことだ!」と思いました。
 
ちょうどその頃、病院関係者のセラピストの教育も行ってたんですが、その状況も後押ししてくれました。
 
内容は、傾聴、接遇、コミュニケーション力などなんですけど、デイサービスで施術だけじゃなくてそういう要素も入れた独自のデイサービスを、今施設長をしてくれているメンバーと立ち上げることに決めました。彼の存在は大きかったです。
 
後は奥さんの後押しもとても勇気づけられました。この時も含めて一回も否定的な意見を言われた事がありません。
本当に心強い味方です。
 

 

 

 

 

 
 
 

今後の夢・目標


 
▼金児
目標は、
①病院で最後を迎える人を減らしたい
②地域やまちをもっと元気にしたい

の2つです。
 
 
Q:2つの目標・想いについて教えてください。
 
▼金児
地域でリハビリの事業をしていて感じることなんですが、病院で人生の最後を迎える人をみて少し悲しく感じる事があります。
もちろん仕方がないことも多いですが、出来る事が制限されていって自由がなくなっていって。。。
 
逆に住みなれた自宅や地域にいながら最後を迎えられる人が幸せそうに見えるんです。
 
理学療法士として、病院で最後を迎える方を減らすことで、まちを元気にもできるのではないかと思うんですよね。
最後まで「生きてて楽しいな!」って思える充実した人生を送ってもらいたいです。
 
 
 
Q:なるほど。確かにそうですね!
 
▼金児
理学療法士は体の専門家であり、体を動かしやすくする事や寝たきりの予防ができます。
 
うちはデイサービスの事業をしているので「人が集まる場所」になっています。
お年寄りの方が交流できたり居場所になっているので、もっと色々な違う事ができるんじゃないかなと考えているところです。
 
「1人で悩まない社会づくりがしたい」
「まちを元気にしていきたい」

 
こんなふうに思っているので、同じような想いがあり、元気で野心があって、コミュニケーションが好きな人に仲間になってもらい、スクラムを組んで一緒に取り組んでいきたいと思っています。
 

 
 
 
Q:金児さんの会社ではそういった人を求めているんですね。その仲間と、地域やまちをもっと元気にしたいということですか?
 
▼金児
はい。うちの会社では、高いスキルを持っている人だけを求めているわけではありません。資格を問わず、共に街を元気にしたい、明るくしたいという方と共に歩んでいきたいです。
 
社員の多様性を大事にお互いにウソをつかず、
「自分はこう思うんです」
「あなたはそう思うんですね」

と認め合って気持ちの良い関係を作って仕事をしていきたいです。
 
こうやってインタビューを受けて振り返って見ると、ぼくはこれまでいろんな人にお世話になったからこそ今があるなぁと感じます。
 
今後は自身がたくさんの人にしていただいたように、若者や仲間の支援に関わらせていただきたいと思っています。
 
今日はありがとうございました!
もしこのインタビューを見て興味を持ってくださった方がいらっしゃれば、ぜひご連絡くださいね。
 
 

 

金児大地プロフィール

高校3年生の時に姉の勧めで理学療法士を目指す。
新卒で病院勤務を経験する中で、自分自身の仕事への価値観を知る。
その後ベンチャー企業や病院のリハビリ部門の立ち上げを経験。
父の死から「人生をどう生きるか」を考えた結果、独自デイサービス事業を展開するため株式会社familinkを創業。
ビジョン:1人で悩まない社会づくり
 
 
金児大地のTwitter
familink公式ホームページ