ありのまんまの自分でいられる居場所を作る!|狩野良太の人生ストーリー

会社員

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「2021年から奈良県東吉野村で、自分の弱さをさらけ出せて、お互いに支え合えるつながりを作りたいんです」
 
 

 
そう話すのは、有料老人ホームで施設長をつとめる狩野良太さん(36歳)。理学療法士として働き始めて14年。関わってきた方は延べ5万6000人
 
 

写真:仕事中の狩野さん
 
 
狩野さんは、なぜこのタイミングで「つながりづくり」をスタートしようと思ったのでしょうか?
 
そう思うようになった狩野さんの人生ストーリーに迫ります。
ゆったりと時間が流れる、心豊かなスローライフに興味のある方は必見です!
 
 
 

写真:東吉野村の祖父母の家にて(左:従弟、中央:狩野さん、右:狩野さんの弟)
 
 

奈良県の東吉野村でのつながりづくりをしたいルーツとは

Q:狩野さんは、2021年から奈良県の東吉野村で人と人をつなぐ取り組みをしていきたいということですが、それはどういった理由からですか?
 
 
▼狩野
小学生の頃に母方の祖父母が住む東吉野村に年1~2回遊びに行っていたんです。
夏は川遊び、年末年始はいとこたちと一緒に自由に遊んだのを覚えています。
 
実は、ぼくは親に甘えるのが少し苦手で、普段は「ちゃんとしなきゃ」という気持ちが強かったんです。でも、東吉野村のゆったりと時間が流れる空気感や自然の開放感がとても居心地がよくて、「ここでは何も考えず自分が自分でいられるなぁ」と感じていました。
 

写真:東吉野村での川遊び(中央:狩野さん)
 
 
▼狩野
これまで14年に渡り、医療介護の現場で仕事をしてきたので高齢者の方と話すことは好きだし、スローライフの中で持ちつ持たれつの豊かな関係を作っていきたいと思い、まずつながり作りをしていきたいなと。
 
結果的に、楽しく居心地の良いまちをみんなで作っていきたいと考えています。
 
 
 
Q:なるほど。狩野さん自身がそういう居場所の中にいたいということですね?
 
▼狩野
先ほどもお伝えしたことなんですけど、そういう居場所を作りたいのは実家暮らしの時に、うまく親に甘えることができなかったり寂しいと感じることがあった経験が大きいです。
 
ぼくは生まれてから奈良県の三郷町というまちで生まれ育ち、小さなアパートで父・母と2歳年下の弟と暮らしていました。
 
父のキャラがちょっと濃かったんです、、、カラオケ大会に女装して歌って優勝したり、モノマネをしたり、基本とにかく声が大きい。(笑) 一方で母は、自分を押し殺してでもとにかくぼくたちや人のために尽くしてくれる、そんな優しい母でした。
 
楽しかった思い出は、家族で紀伊半島を1周車中泊で旅行したこと。
すごく寒かったけど、車の中でのワクワクした当時の気持ちと映像は今でも忘れられません。
 
でも、それ以上に頭に残っているのは、母が泣いている後ろ姿でした。
というのも普段は明るく面白い父でしたが、ギャンブルで借金を作ってしまい、感情的になると皿を投げたこともあり、、、そしてついにぼくが小学2年生ぐらいの時に両親が離婚したんです。(正確にはしていた。)
 
 
 
Q:離婚後は、お父さんとお母さんのどちらと暮らしていたんですか?
 
▼狩野
母と弟と暮らしていました。
でも、離婚したことを知ったのは小学5年生ぐらいの時で、「父さんが家にあんまりおらんのは単身赴任やから」と思っていたんです。
 
でも、完全に父と縁が切れたわけじゃなく、週末は父が作ったサッカークラブでサッカーを習っていたので毎週会っていました。
 
 

写真:小学校の頃、サッカークラブにて(左上:お父さん、下段右から2番目:狩野さん)
 
 
Q:そうなんですか、お父さんがサッカークラブの監督だったんですね。そこでは親子のふれあいはあまりなく?
 
▼狩野
クラブでは父、親子というよりは、監督と選手というところが大きかったかもしれませんね。
サッカーの指導については子どもたち一人一人と真剣に向き合っていて、その姿にすごく尊敬していました。
息子であるぼくには、親子ということもあり周りの選手よりも厳しいようには感じていました。
 
当時は、試合中に大声でベンチ前まで呼び出されて怒られることがあり、その時は恥ずかしくて嫌でしたね。
今となっては、手を抜いたり諦めることに対して怒られていたことを理解でき、感謝しています。
 
 
Q:お母さんとはどんなふうにコミュニケーションをとっていたんですか?
 
▼狩野
母に甘えたいと思う時もありましたけど、母は昼も夜も忙しく働いていたので時間的にも精神的にも余裕がないと感じていました。
さみしいという気持ちを伝えることは子どもなりに気を使ってしていませんでした。
 
でも大好きなサッカーをさせてもらえて、いつも笑顔でぼくたちのために美味しいご飯を作ってくれて、不自由と感じることはなかったので、余計に「自分がお母さんを助けなきゃ」と思っていました。
 
今思うと、子どもながらに、
「ちゃんとしなきゃ」
「自立しなきゃ」

という気持ちが強かったかもしれませんね。
 
 
 
Q:お母さんに自己表現しなかったということは、、、友達と深い関係を築くのも苦手でしたか?
 
▼狩野
シャイというか、いつも周りの顔色をよく見ていましたね。とにかく人に嫌われないことを第一に自分の気持ちを押し殺して周りに合わせようと考えていました。
 
なので友達と深い関係を築くのは苦手だったんですけど、ずっと続けてきたサッカーに何度も救われましたね。
サッカーでは自分を出せたし、プレーを通じて仲間と遠慮することなくコミュニケーションをとれましたから。
 
中・高は学校のサッカー部、社会人になってからも父が立ち上げたサッカークラブの社会人チームに所属していたくらいのサッカー好きでした。
 
 

写真:中学のサッカー部ラストの大会で優勝した時(中段右から2番目:狩野さん)
 
 

写真:高校のサッカー部集合写真(人数が多すぎて狩野さん分かりませんw)
 
 
 

理学療法士になろうと思ったキッカケとは

Q:老人ホームに勤務されているのも、人とのつながりを感じられるからですか?医療・福祉業界を志したキッカケはなんでしたか?
 
▼狩野
高校1年生の時に、母があるクリニックで働いていて「理学療法士っていう国家資格を取るとできる仕事があるんやで」と教えてくれたんです。
 
 

写真:高校の入学時
 
 
▼狩野
当時は「人とのつながり」というよりも「国家資格」というワードに「ビビッ!」ときたんです。「国家資格を取れば手に職をつけて母さんを助けられる!」と思ったんです。
 
 
 
Q:「これからの時代はお年寄りが増えていく」と言われている頃ですよね。
 
▼狩野
そうですね。
でも、当時はサッカーをしていたこともあってスポーツトレーナーとして関われるイメージの方が強かったです。
 
高校卒業後は、大阪府茨木市にある藍野医療福祉専門学校(現藍野大学)に3年通うことにしたんですけど、母子家庭だったので学費が大変でした。母が伯父さんに借りてくれていたくらいで。
 
 

 

写真:専門学校の卒業式にて
 
 
 
▼狩野
でも、2年次に「学校の系列の病院が新たに新病院を立て、リハビリテーション科が大きくなる為、3年間働けば学費を免除します」という情報を先生が教えて下さりすぐに飛びつきました。いわゆる御礼奉公というやつですね。
 
 
Q:その新病院でスポーツトレーナーの仕事をされたんですか?
 
狩野
いえ、高齢者ばかりでスポーツに関わる仕事は一切できませんでした。2006年から5年間そこで働いたんですけど、最初の1、2年は毎日仕事が終わったら遊び・飲みばかりでしたが、3年目に転機があったんです。
 
 

写真:病院勤務時代(最上段の左から3番目:狩野さん)
 
 
 

転機となった介護予防教室での経験とは

Q:その「転機」とは?
 
▼狩野
地域の高齢者の方に向けた介護予防の教室を行う担当になったんです。
 
当時はまだ新しい領域ということもあり、すごく面白くてのめり込み、研修や学会に参加するために東京や山形、四国など休みの日にはあちこちに学びに飛んで行っていました。
また、当時の上司(リハビリテーション科の女性科長)が自由に裁量を与えてくださったので、病院を飛び出して社会福祉協議会や地域包括支援センター、地域のいきいきサロンの方々ともつながることができました。
 
それまでは病院内の何かしら病気を抱えた高齢者との関わりばかりでしたが、病院外で出会う地域で暮らす高齢者はとても元気で「地域にはこんなに元気なおじいちゃん、おばあちゃんがいっぱいいるのか!」と驚きました。
 
それから3年間で延べ560名もの地域の高齢者と触れ合うことができたんですけど、自分の存在や仕事が求められることがとても嬉しく、自信の仕事に対して誇りや面白さを実感できました。
 
 
 
Q:言われて嬉しかった言葉で覚えている言葉はありますか?
 
▼狩野
「リハビリの先生と病院の外で会ったことなんてなかった。病院からわざわざ来てくれはってありがとう」ですかね。
 
地域の高齢者との関わりを通じて「もっと地域の中で働きたいなぁ」という想いが強くなってきた時に、科長のご主人が施設長をされている老人保健施設でリハビリスタッフを募集していることをお聞きしたんです。
 
「チャンスだ!」と思い、丸5年間お世話になった病院を辞めて、転職しました。
 
 
 

キャリアの積み上げと広がる「つながり」

Q:その新しい職場ではどんな経験をされたんですか?
 
▼狩野
そこでは通所(デイケア)も入所も訪問リハビリもあり、8年間の勤務で本当にたくさんの経験を積ませていただきました。
まず入職して最初に配属されたのが認知症専門棟だったんですけど、リハビリという言葉も通じず理学療法士として「果たしてここで自分に何ができるのか?」と無力感を抱いたことを覚えています。
 
それまでの病院では、リハビリをする先生とリハビリを受ける患者さんという関係性でしたから。
 
でも、その時に現場の介護士さんと同じように、朝から夕方までトイレのお手伝いや認知症のある方への接し方などを学んでいくうちに、介護の面白さに気づくことができました。
 
 
 
Q:順調にキャリアを積んでいますよね。
 
▼狩野
環境や運がとても良かったおかげです。
 
でも、高卒で地方から介護士になりたいと出てきた子たちが、2、3年働くと次々職場から辞めていくのを見て、「もったいない。何とかしたい。」と思ったんです。
 
そこで、「自分に何ができるかな?」と考えて、2016年に一般社団法人Utori(ゆとり) Sports Communityを立ち上げました。
 
フットサルやテニス、ソフトバレー、バスケットボールなどスポーツを中心に交流したり、職場の悩みを相談したり、何かポジティブなきっかけをつかんでもらう場を作りました。
 
 

 

 

 

 
 
 
▼狩野
医療・福祉・介護の仕事をしている方や学生、一般の方がつながれる居場所を作って活動しているうちに人脈も広がり、「いつか自分も独立して理想の事業所を作りたい。」と思うようになりました。
 
というのも専門学校時代、和歌山県の実習先の先生に「これから仕事をしていく上で、未来のビジョンを書いてみなさい」と言われた時に、「将来的には生まれ育った大好きな奈良で地域のおじいちゃん、おばあちゃんたちに喜んでもらえる仕事がしたい」ということを書いていたんですね。
 
 
 
Q:それで奈良で事業を立ち上げようと思ったんですか?
 
▼狩野
そうです。
実は2018年の秋頃にお仕事付きの老人ホームの施設長としてチャレンジしていく予定だったんですけど、どうしようもない事情でその施設を建てる計画がストップしてしまったんです。
 
 

写真:石川県への視察途中の車内にて(左:狩野さん)
 
 
 

人のつながりにピンチを救われた

▼狩野
でも、勤務先の理事長や上司にはもう辞めることを伝えていて「これはまずい・・・」と思っていました。
ぼくの都合で退職を2ヶ月延ばしていただいたんですけど、すごく心配され、気まずかったのを覚えています。
 
でも、そんなぼくの事情を知った尊敬する先輩方が手を差し伸べて下さったんです。
デイサービスのリニューアルオープンを任せていただいた後、2019年の7月からは現在勤務しているフォーユー堺深阪という老人ホームで施設長として働かせていただくことになりました。
 
この時に手を差し伸べてくださったのが、社団法人の運営で悩んだ時に相談に乗っていただいたりイベントの協賛をしてくださった恵本崇さんです。
恩返しをしたいという気持ちもありましたし、施設長として経験を高める機会をいただけて本当にありがたかったです。
 
 
 
Q:人のつながりにピンチを救われたんですね。これまで長年介護の現場で勤務された中で印象的だったことはなんですか?
 
▼狩野
年々思うことなんですけど、理学療法士として一対一で施術をして喜んでもらうことよりも、みんなで役割や居場所を作っていくことにやりがいを感じるんです。
 
老健時代に入所されていた脳出血後遺症で失語があった車椅子の男性とのエピソードが今でも印象に残っています。
 
その男性の奥さんはスパルタ(笑)でリハビリに対する要求も強く、正直最初は嫌やなと感じることもありました。
でもあえて自分からコミュニケーションを取る機会を増やしていき数カ月経ったある日に、ポロっと「もう出かけて外食するのは無理なんかなぁ・・・」と言われたことがありました。
 
それを聞いて、桜の季節に家族交流会という外出イベントを企画し、お二人をお誘いしました。
当日、ご飯を食べる時に乾杯のビールを注文され、その男性が奥さんにビールを注がれたんですが、奥さんが泣いて感動され、何が起こったのかとびっくりしました。
 
お話を聞くと、今まで奥さんはご主人に対して、一生懸命尽くしてきたものの、感謝の言葉を聞いたことがなかったそうで、このビールを注いでくれたということがものすごく嬉しかったんだそうです。
偶然かもしれませんが、そういうキッカケが生まれたことにすごく感動しました。
 
 

写真:岸和田城への外出イベントにて(中央:狩野さん)
 
 

「本当にやりたいことは何なのか」と考える転機

Q:お話を聞いていて感じたんですけど、狩野さんって人のために動いてお礼を言われるのがすごく好きですよね?
 
▼狩野
小さな頃から「ちゃんとしなきゃ!しっかりしなきゃ!」で育ってきたので「人のために何かしていないと認められない!」という義務感が強かったんです。
 
でも、2020年3月から新型コロナウイルスがキッカケで社団法人を含めた社外での活動ができず立ち止まる機会があって、「ぼくが一番したいこと、求めていることって何なんだろう・・・?」と考えました。
 
 

写真:その当時の写真
 
 
▼狩野
「人のために」という義務感から状況的に離れたことで、ぼくが本当に求めていたものがわかりました。
 
「ぼくは、自分自身の弱いところやダメダメなところもさらけ出せて頼り合えたり、ありのまんまの自分でいられる居場所を作りたいんだ・・・」と気づいたんです。
 
 
 
Q:なるほど。狩野さん自身が強がったり自分を大きく見せて認められることをやめたいということですね?
 
▼狩野
そうです!
今、施設長として働いているんですけど、仕事中もうっかり忘れていたり、上司やスタッフのみんなに迷惑をかけたり助けられっぱなしなんです。
正直、最初はできない自分が不甲斐なくて許せなかったのですが、自分のできないところを受け入れて、「助けて」と発信したり人を頼ることで、スタッフも「仕方ないなぁ」と思いながらも、お互いさまの関係性が生まれるとも感じています。
 
 

写真:今の職場でのハロウィンイベントにて(中央下:狩野さん)
 
 
 
▼狩野
「施設長の仕事を通じて、持ちつ持たれつの関係を作る力を身につけなさい、分からない相談したり頼れる自分になりなさい」と言われているようにも感じています。
 
これは、新型コロナウイルスをキッカケに立ち止まれたことや、施設長という立場に立たせてもらえて気づけたことです。
 
 
 

これからの目標

Q:最後に、インタビュー冒頭でも言っておられた通り、東吉野村や田舎の自然・空気感の中で自分らしくいられる場所を作りたいということについてお聞きしたいんですが。
 
 

写真:祖父母とあやめ池遊園地にて(中央:狩野さん)
 
 
▼狩野
祖父は、とてもファンキーだったんです。
細かいことは言わないけど、いつもじっとすることなく動いていて、ほんとに亡くなる直前まで酸素ボンベのチューブをつけて畑仕事や車の運転をしていたくらいで(笑)昔は酔っぱらっては車で畑へ突っ込み、その影響で家までの坂道に道路を延ばす工事に反対されたとか(笑)でも孫のぼくたちのために数年かけて立派な離れを作ってくれました。
 
祖母は、心配性という言葉がぴったりで、まめに電話をしてきてきては「風邪ひいてないか?元気にしてるか?」と聞いてくれていました。
 
そういう祖父母がいて、自然に囲まれた田舎に帰ると、「ちゃんとしなきゃ」なんて自分では無く、「ありのまんま」のだらしない自分でいられました。
 
そんなふうに自分らしく生きられたり、人と人とのあったかいつながりを大切にできることって生きていく上ですごく大切なことだと思うんです。
 
 
 
Q:狩野さんだけじゃなく、そういう場所にいたい人、求めている人もいますよね。
 
▼狩野
はい、そういうありのまんまの自分でいられる居場所や人とのあったかいつながりを感じたいのはぼくだけじゃないと思います。
例えば、都会で便利の良い生活はできているけど、人と人のつながりが薄いが故に寂しいと孤独を感じることも誰だってあると思うんです。
 
じゃあ今、これから何をするか?
自分は何がしたいのか?

 
ぼくは奈良県の東吉野村で、ありのまんまの自分を出せる、そんな人と人のつながりを作っていきたいです。
 

写真:掘りごたつを囲みながら、初対面同士がありのまんまで繋がり合っている様子
 
 
 
▼狩野
そのために、まずはこれまでの医療・介護の仕事で得た経験やスキルを生かして、大好きな奈良県、そして自身の大切なルーツでもある東吉野村で、地域のおじいちゃん、おばあちゃんに喜んでもらえる仕事をしながら、人と人のつながりを作っていきます!
 
 

写真:大阪・奈良から田舎の掃除に来てくれた仲間たちと(左下:狩野さん)
 

写真:集落の元区長さんとモノラックを直してくれたおじちゃんと
 
 
▼狩野
この記事を最後まで読んでいただきありがとうございました!
 
少しでもぼくの想いに共感して下さった方は、是非一緒に人と人のつながりを作っていきませんか?
 
SNSのメッセージなどで、ご連絡をお待ちしています!
 
 
 
 

狩野良太プロフィール


狩野良太 かのうりょうた 
1984年10月25日生まれ
奈良県出身
大阪府堺市在住
理学療法士/社会的複業家/コミュニティビルダー
 
有料老人ホームフォーユー堺深阪 施設長
一般社団法人Utori Sports Community 代表理事 
株式会社Re:be 代表取締役(2021年8月設立予定)
 
 
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