KUROMON COSMETIC 中山秀子の人生ストーリー

 
「肌がガサガサで朝に鏡を見ると気分が落ちてしまう」
「すっぴんに自信をもてない」
「やりたいことはあるけど、人前に出て自分を表現できない」

 
こんなふうに悩んでいませんか?
 
 
 
子どもの手が離れてくる50代。
「これから新しいことに挑戦したい」と思っている女性は多いのではないでしょうか。
 
しかし、肌トラブルのせいでうつむきがちになってしまったり、人前に立って自己表現をすることができない人もいると思います。
 
そんなあなたに知っていただきたいのが、世界初の「スッポンコラーゲン」を使った化粧品「Superior One(スペリオルワン)」です。
 
 
この化粧品を開発したのは、株式会社KUROMON COSMETICの取締役社長の中山秀子さん、53歳。
 

 
とても53歳には見えません…。
また、なんと2014年の「美魔女コンテスト」ファイナリストでもあります。
 
普段使っている化粧品をこの「Superior One(スペリオルワン)」に変えてお手入れするだけで肌の輝きが増し、笑顔で過ごせるようになると雑誌やテレビでも話題になっています。
 
「すっぴんに自信をもって、やりたいことに挑戦して頂きたい」と話す中山さん。
 
その想いや、これまでの人生ストーリーをインタビューしてみました。
 
 
 

幼ない頃から人を綺麗にするのが好きだった


 
Q:中山さんは、子どもの頃から美容に興味があったんですか?
 
▼中山
5歳頃の私は「サザエさん」に出てくるワカメちゃんのような髪型でした。
長い髪の友達を三つ編みにして可愛くすることが好きだったんです。
 
 

写真:5歳の頃の中山さん。
 
 
▼中山
「ありがとう!」とか「かわいくなった!」って言ってもらえるのが嬉しかったんです。
 
母が化粧をするのが好きな人で、「綺麗だなぁ」と思いながら見ていました。
そして、ついに小学1年生になった時に、母の留守中に口紅をひいてみたんです。
 
 
 
Q:それが初めての化粧になるんですよね?どんな気持ちでしたか??
 
▼中山
うまく綺麗な形にならなくて、どんどん唇からはみ出してしまったんです(笑)。
 
石けんで洗っても落ちなくてティッシュで落としていたんですけど、そこに母が帰ってきて、クレンジングで落としてもらいながら怒られました。
 
小学3年生になるまでは散髪屋に通ってたんですが、自分で髪のブローや手入れができるようになったので髪を伸ばせるようになり、美容院に通わせてもらえるようになりました。
 
それからはセミロングくらいに伸ばすことができて、嬉しくて1時間くらいブローしていました(笑)
通っている美容師さんと話すのが楽しくて、中学生になった頃には、将来の夢は美容師になっていました。
 
 
 

母の猛反対から、看護師になったことでコラーゲンに出会えた


 
Q:じゃあ、学校を卒業したら美容師を目指すように?
 
▼中山
いえ、祖父母は、「秀ちゃんは人を綺麗にする仕事がしたいんだね、良いね」と言ってくれていたのですが、父からは「教師になりなさい」、母からは「看護師以外絶対ダメ!」と猛反対され、自由に進路を決めることができませんでした。
 
私が自由にしていたり嬉しそうにしていると、母の機嫌が悪くなるので感情を表に出さないようにして接していました。そうしているうちに、自分の気持ちを言葉で表現するのが苦手になっていったんです。
 
思い返すと、家の中では8歳を過ぎた頃から家事や料理、ミシンなどを覚えて家のお手伝いをしていました。高校生になってからは、妹と当番でフルタイムの看護師の母が帰ってくる18時半までに晩御飯を作っていましたね。
 
 
 
Q:家の中ではそんなふうに過ごされていたんですね。高校時代に夢中になれたことはなんでしたか?
 
▼中山
吹奏楽部での活動に夢中になりました。高校1年生の時は、学校のクラリネットをお借りして吹いていたんですが、友達二人が当時の暗い私をロックバンド「スペクトラム」のコンサートに誘ってくれました。
 
コンサート開始直後に衝撃を受けて、「カッコいい!トランペットを演奏したい!」と思うようになり、お菓子工場で時給500円で働きお金を貯めて高校2年生の時にトランペットを買いました。
 
家は毎日両親がケンカしていたので、「もう離婚して!」と言いながら仲裁する日々だったので、部活が心の拠り所であり、居場所でした。
 
今思うと、母は洋裁の仕事をやりたかったものの祖父母に反対されて看護師になった過去があったんです。だから私に対してもそういう接し方になっていたのであれば無理もなかったのかなと思うんです。
 
高校生の時に母から、「きっと一人で生きていくことになるから、手に職をつけなさい。看護師以外絶対ダメ!」と意味不明なことを言われていました。しかし、この時の母の言葉がプラスに働き、今の私があると思うのです。
 
 
 
Q:プラスに働いたとは?どういうことですか?
 
▼中山
高校卒業後に看護学校に進学し、卒業後に大阪にある500床ぐらいの大手総合病院のオペ室で勤務した時に、皮膚を保護するコラーゲンの存在を知ることができました。
 
 

写真:大阪の大手総合病院勤務をしていた当時の写真
 
 
▼中山
形成外科で有名な病院で、事故や火傷で痛めた皮膚の治療を豚の皮のコラーゲンでできたシートでおこなっているのを見ていました。これが後々、「世界初のスッポンコラーゲンの化粧品」を作ることになる大きなキッカケとなりました。
 
 
Q:なるほど、美容師を目指していたらコラーゲンのことを知らなかったかもしれませんよね!じゃあ、美容師になるのは諦めたんですか?
 
▼中山
看護師になってから3年間その病院で働いた後、美容師になりたかったので退職しました。
看護学校に通うために奨学金をお借りしていたのですが、3年間働いたら返済しなくてもいいという事情もあって3年間は看護師として働きました。
 
どうしても美容師になる夢を諦められず退職したのですが、母親がそのことに激怒し、勘当されてしまったんです。
 
 
 
Q:両親に反対されても美容師を目指されたと…。やはりヘアメイクや人を綺麗にするのが好きだったんですね。
 
▼中山
両親が厳しかったこともあり、全寮制の看護学校に進学しました。
しかし、そこは軍隊みたいに規律正しかったり、勉強や実習が大変でしたが、寮の同級生にヘアメイクをしてたんです。
その時間がすごく楽しかったんですよね。
 
「彼氏とデートだから秀ちゃんにヘアメイクしてもらった!」
「秀ちゃんのおかげで彼氏にかわいいって言われたよ!」

と噂になり、なんと行列ができました(笑)
 
この経験も、美容師を目指すようになったエピソードです。
 
 
 

夢を叶えようと挑戦するも母から勘当…家賃3万円のアパート生活へ


 
Q:実際に美容院で勤務をしてみてどんなことを感じましたか?
 
▼中山
実家には帰れず、お給料が手取り10万円だったので家賃3万円のエアコンなしのアパートで生活していました。
 
その当時は、お金がなかったのでスーパーで大根の葉とかキャベツの一番外側を頂いて食べていましたね。タンパク質は卵と納豆だけで、ご飯と一緒に食べていました。
 
美容院では、カット以外のカラー、パーマ、シャンプー、ヘッドスパ、ブローの技術を学ぶことができました。
 
 
 
Q:その後は美容師にとして働いていくんですか?
 
▼中山
いえ、美容師にはならずに1年で辞めました。
 
今の時代だと美容院は予約制のところが多いですが、私が勤務していた美容院は予約をされていないお客様も受け入れていたのです。ですから始発で出勤して終電で帰る毎日を送っていましたが、栄養失調になって動けなくなってしまい、退職しました。
 
そういった事情から「ご飯が食べられるように働こう…」と思い、総合病院に就職しました。
 
 
 

人を綺麗にすることは素晴らしい仕事だと思えた原体験


 
Q:そうだったんですね。看護師として働いている中で印象的だったエピソードはありますか?
 
▼中山
外科病棟・脳神経外科病棟で働いていたのですが、25年前当時は長期入院の患者様が多かったんです。
そうなるとオシャレとは無縁になり部屋から出たがらない患者様がいたんです。
 
この時の看護師のお仕事は、「注射係」「処置係」「保清係(ほせいかかり)」など色々な業務を日替わりで担当していたのですが、保清係の日は、シャンプーをしたりヘッドスパをしたりブローで髪をフワフワにすることができました。
 
また、スキンケア化粧品で保湿したりほお紅やリップを塗って鏡を差し出したところ、患者様が笑顔になってくださったんです。
 
そしたら、私が何も言わなくても勝手に部屋から出て行って自慢される姿を見るのがとても嬉しかったですね。
「あぁ、人を綺麗にするって素晴らしい仕事だな」と感じていました。
 
 
 
Q:偶然にも看護師の仕事の中でも保清係もできたのは大きいですよね。
 
▼中山
そうなんです。あと、亡くなった方のエンゼルケアもしてました。
精一杯の心を込めて「生きているように帰してあげたい」と思い、丁寧に行っていました。
 
すると、その方のご主人が「うちの女房はこんなにキレイやったんやなぁ」と目を潤ませ呟かれました。
私も感極まって泣きそうになりました。
 
この経験からも、「人を綺麗にするのは素晴らしい仕事だ」という私の人生で大切な、夢中になれる価値観が育まれました。
 
しかし、28歳の時にあるキッカケから看護師を退職しました。
 
 
 
Q:何か新しいことに興味が湧いたんですか?
 
▼中山
実は、祖父が海軍の将校で、世界中を周ったお話を聞いていました。
当時、大阪市が「あこがれ」っていう帆船のトレーニー(研修員)を募集していたんです。
 
大阪市の姉妹都市が上海市で、一週間の航海訓練に参加しました。
 
 

写真:トレーニーとして参加した時の中山さん。
 
 
▼中山
その公開訓練の帰りに東シナ海が大荒れになってしまったんです。
それでみんな船酔いで吐いてしまうので、水分不足になってしまうため「水を飲んでください!」と水分補給を勧めて回っていたんです。
 
しかし、中国人の方々に日本語が通じず、水を差し出しても飲んでもらうことができませんでした。
その後、ある方が精神錯乱状態になってまったので部屋で保護して、海上保安庁に連絡したところ、その医務官の対応が素晴らしく、無事に公開訓練を終えることができました。
 
私の対応も評価して頂けて、「次からの航海訓練も看護師として乗務してもらいたい」とお声がけくださいました。
 
70人でインドネシア、ジャカルタに行きました。看護師業務がないときは、調理補助もしていました。水分不足にならないようにポカリスエットを粉から作って冷やして飲んでいただいてました。
 
 
 

化粧品販売の楽しさを感じたコンビニ店長時代


 
Q:積極的に人のために動かれる性格ですよね。今の化粧品を販売することにつながるエピソードはありますか?
 
▼中山
その後、全国から患者様が集られる大きな総合病院の外来や、オペ室に合計2年ほど勤務をしていたのですが、体力的についていけなくなり退職しました。
 
少し話が変わるんですが、私は、20代の頃から自分の気持ちを言葉で表現するのが苦手でした。そんな自分でもなんとか男性とお付き合いして、両親に紹介したこともありましたが、毎回反対されて別れてきました。
 
しかし、両親は妹に対しては人生初の彼氏と結婚させるために誠心誠意サポートし、嬉々として私に連絡してくるんですよ。
 
「それって、どういう事!?私はどんなに好きな人とも結婚してダメでも、なんで妹は良いの!?」と、ふにおちない思いがフツフツと湧いてきて、その悔しさから妹よりも先に行きつけの飲食店で出会った男性と入籍しました。31歳の時のことです。
 
その後、「コンビニの店長をやらない?」と誘っていただくご縁があり、その時に「私はこれまでビジネスの経験が無いな」と思い、挑戦することにしました。
 
最初は、地域の方々に受け入れてもらえず、売り上げもあがりませんでした。
しかし、大学生のスタッフと一緒にPOP(商品紹介をする絵や文字)を工夫していくとお客様からコミュニケーションをとっていただけるようになり、売り上げも上がってゆきました。
 
POPは、絵のうまさじゃないんです。「商品の魅力を伝えようとがんばってるね」と本部から表彰もして頂けて、スタッフも自信がついてドンドンがんばってくれました。
 
また、社長が「なぜ京都のこのコンビニだけ特定の商品の売り上げが上がってるのか?」と疑問に思い、視察にも来て頂けたんです。
 
 
 
Q:その特定の商品が化粧品だったんですか?
 
▼中山
実際に私が使っていた、あるメーカーのクレンジングオイルのことです。
「お客様にもこの商品の良さをお伝えしたい!」と思ったんです。
 
まず、お客様の肌の悩みを聞き、マッチしたら「私もこれ使ってるんです、良いですよ」とオススメしたら、「中山さんがオススメするなら買う」と言っていただけました。
 
ひと月あたり100本くらい販売していました。
化粧品販売の楽しさを感じた大きな経験でしたね。
 
 
 
Q:なるほど。本当に良いものをすすめたり、人を笑顔にするということが好きなんですね。
 
▼中山
はい。でもこのコンビニ勤務をしている間に、夫からDVにあっていたんです。
夫の暴言、過剰な飲酒による度重なる遅刻や欠勤の問題から40歳の時に離婚し、コンビニの仕事も5年半ほどで辞めました。
 
離婚後は、バックパッカーとして沖縄県の離島の民宿に泊まりながら、おじいちゃんやおばあちゃんと話しながらゆったりと過ごしていました。
 
人生を振り返ってみると、「自由になってみたい」とか、「エネルギーを補給したい」って思う時期がありますね。
 
 

 
 
▼中山
沖縄の離島の美しさ素晴らしさを感じながら、これまでの人生を振り返っていました。
 
 

写真:当時に撮影した沖縄の自然
 
 
 
▼中山
この時に、
「自分の気持ちを素直に言葉で表現するのが下手だな」
「言葉で人様にしっかり自分の気持ちを表現できる人になりたい!」
と思ったんです。
 
色々考えた挙句、「私には荒治療が必要だ」と思い、大手航空会社のコールセンターに応募したところ、思いがけず採用して頂きました。
 
 
 

積み重ねてきた人生経験とご縁から化粧品開発の道へ


 
Q:今の中山さんは話すのが上手なので、そういう過去があったとはわからなかったです。
 
▼中山
コールセンターで勤務し始めて最初の頃はすごく大変でした。
声だけのやりとりの中でお客様が求めていることをお聞きし、そこに合わせて情報を整理したり、筋道を立ててわかりやすくお伝えする必要がありました。
 
この時に、人様に伝わるお話の仕方をとことん鍛えて頂きました。
そこから、人様に自分の気持ちを素直に表現することが少しずつできるようになっていったんです。
 
また、この時に入力していた顧客管理システムや、購入履歴のシステムの経験も後々活きてくるんです。
 
 
 
Q:そうした経験を積み重ねてきて、いよいよ化粧品開発へ?
 
▼中山
今から10年前くらいですかね…40代の時に、看護師として採血専門のお仕事をしていたのですが、忙しい時は3〜4時間で100人くらいこなさなきゃで、喉が乾いても水を飲む時間もない労働環境で、体の疲れはもちろん、肌が乾燥してガサガサになったんです。
 
朝起きて鏡を見たら「あーあ…」って気持ちが落ちてしまい、人の顔を見て会話を楽しむこともできなくて「どうしたらいいんだろう」と思っていましたが、大阪の黒門市場の新魚栄の網干貴之(あぼしたかし)(現:KUROMON COSMETICオーナー)や、市場のみなさんとのご縁がありました。
 
 

写真:新魚栄ホームページ
 
 
 
▼中山
そこで、「スッポン食べると元気がでるよ!スッポンの生き血はお酒と割って飲んでみると良いよ!」と言ってもらいました。
 
「えー!?」とすごくビックリしましたが、食べてみると鶏肉に近くて美味しいし、生き血を飲むと体が元気になって、乾燥肌やアトピーを持っていた私の肌の調子が良くなっていきました。
 
 
Q:なるほど。実際にスッポンを食べて体力や肌に効果を感じられた経験があったんですね。
 
▼中山
はい。スッポンのお肉は、コラーゲンが豊富に含まれていて見るからにプルンプルンなんですよ。
 
その時に「あっ…もしかすると!」と閃いたんです。
20代前半の頃、看護師としてオペ室で働いていた経験と結びついて、「スッポンのコラーゲンを使った化粧品を作ったら、素晴らしい化粧品になるんじゃないかな!?」と思い、化粧品事業を立ち上げようと思いました。
 
それで出資者の網干に相談したんです。
 
 
 
Q:網干さんのリアクションはどうだったんですか?
 
▼中山
「え???」とビックリしていました(笑)
 
私の想いをしっかり聞いてくれたんですが、その当時は魚屋の業務が大変で、その対応に追われていたので化粧品開発を進める余裕がなかったんです。
 
だから、「私にできることってなんだろう?」と考えたところ、「IT化をして業務を効率化しよう!」と思い、顧客管理システムや購入履歴のシステムの提案をしたんです。
 
実は、お客様から電話で「昨年頼んだやつと同じものをください」と言われた後、店員の方が大量の書類の中から手作業で昨年どんなご注文を頂いていたのかを確認していたり、そろばんで計算をしているような状況で大変そうだったんです…。
 
なので、店員が書かれた大量のコピー用紙、メモ、台帳を私がシステムに入力し、その問題を解決していきました。
 
 
 
Q:IT化の新しい取り組みに対してお店側からの反対意見は出なかったんですか?
 
▼中山
「パソコンをこれから使わないとダメなの?」とか、「業務が減っても仕事はなくならない?」という不安な声を聞くこともありました。
 
しかし、「これは業務改善です。業務が減った分、営業をすることができるんですよ」とコミュニケーションを取りながら進めていました。
 
そうして業務の効率化が進んだところ、網干が「化粧品開発やろう!」と言ってくれたんです。
 
 
 

近畿大学・焼津水産高校とのご縁で、「世界初のスッポンコラーゲン」を使った化粧品が誕生


 
Q:スッポンのコラーゲンを使った化粧品の開発って世界初ですよね?どうやって開発を進めていったんですか?
 
▼中山
そう、世界初です。出資者になってくださったオーナーの網干が近畿大学・農学部のOBでしたので、近畿大学・リエゾンセンターという、産学連携を担当されている部署に相談させていただいたところから、薬学部の多賀先生(現:教授)とのご縁がありました。
 
私の想いをお伝えしたところ、多賀先生曰く「スッポンを食べることに興味あって、研究したことはありましたが、化粧品とは!おもしろい!」と言っていただけました。
 
それから開発がスタートしました。
 
研究をしてみると、スッポンの「エンペラ」という部分の80%以上に、化粧品にうってつけのコラーゲンが存在することがわかりました。
その部分からタンパク質や化粧品に入れない方がいい生き物ならではの脂肪やタンパク質などの物質を除去し、純度が限りなく100%に近い「コラーゲン」の抽出に成功しました。
 
 
 
Q:近畿大学とのコラボで誕生したんですね。
 
▼中山
はい。多賀先生が「せっかく世界に初めて産み出すのなら、もっとこだわった良い成分にしたい!」と言ってくださいました。
 
そして、「スッポンコラーゲン」から多賀先生ならでは独自の技術で「ロングレングスコラーゲン」という素晴らしいコラーゲンを作ってくださいました。
 
そのコラーゲンは、分子がとても長〜く、らせん構造がふんわりした状態なので、「成分をぎゅーっとつかみこむ」状態にしてくださいました。
 
このコラーゲンのイメージは、例えば、バンソウコウを想像してみてください。
バンソウコウは短いと汗をかいたり体を動かしたらはがれやすいですよね。
 
しかし、長いとたとえ体を強く動かしたり、汗をかいてもはがれにくいですよね。
そのようなイメージで、「ロングレングスコラーゲン」は保湿力が高く、汗をかいても動いても落ちにくい素晴らしいコラーゲンとして誕生しました。

 

 
 
Q:スッポンは、どこで育てされたものを使われているんですか?
 
▼中山
オーナーの網干(黒門市場の老舗鮮魚店経営)が、次世代の若者を育成する事業に取り組んでいました。
 
その一環として、2007年から、静岡県立焼津水産高校の生徒さんが育てられたウナギを商品化し、大手百貨店で、お中元やお歳暮などのギフト商品として商品化し、大ヒットしています。
 
このウナギは飼育する過程で抗生物質や農薬を使っていず、天然のウナギと遜色がない品質と、その育てる情熱に惚れ込んでいました。そのご縁で焼津水産高校のスッポンにも繋がりました。
 
完全無農薬で抗生物質などの薬物は全く使わず、手間暇と愛情をしっかりかけて丁寧に2年間育てたスッポンを使用しています。
 
 

 
 
Q:技術にも品質にも思いが込められていると。そういった方々と一緒に開発を進めていたんですね。周囲の方々からのリアクションはどうだったんですか?
 
▼中山
実は、その時期ものすごく大変でした…。
両親の認知症が進んでいたことや、母の脳動脈瘤が破裂して救急搬送されたりで、転院や入院、検査、手術の手続きや付き添いをしていました。
しかし、記憶障害になってしまい、「何もしてくれてないじゃない」と言われ、、、父からも評価されなかったんです。
 
あと、化粧品開発に関しても、魚屋が化粧品開発をするということに対して「大丈夫なの?」と、理解されないことも重なり、その辛さから引きこもってしまいました。
 
その後、私が47歳の時に両親が亡くなり、四十九日が終わったんですが、網干がこの間、化粧品開発を進めてくれていたんです。
 
私も、「ここからまたがんばろう!」と再起し、2013年の8月1日に「KUROMON COSMETIC」を創業しました。
 
 
 

メディアの注目を浴び、リリース初年は好調にスタート


 
Q:化粧品をリリースしてからのリアクションはどうだったんですか?
 
▼中山
創業当時は、近畿大学の広報部と共同でプレスリリースさせて頂けたこともあり、メディアが注目して下さいました。
 
「ガイアの夜明け」や「ちちんぷいぷい」などの人気テレビ番組でも取り上げて頂けました。
「ちちんぷいぷい」の放送後には、ありがたいことに数日間で3000個もご注文を頂けました!
 
 
さらに、スッポンコラーゲンから作った「ペプチド」と言う、分子が物凄く小さい物に、肌の明るさを目指せると言う事も研究でわかりました。アウトドア派で日焼けがしやすい私も、紫外線が怖くなくなりました。
 
例えば、干物の魚と生の魚を焼いたら干物の魚の方が先に焦げるじゃないですか?
 
日焼けしないためにも保湿って大事なんです。
 
 
 

写真:スッポンコラーゲンの化粧品を使い始める前の中山さん。
夏の紫外線に3日ほど連続で当たると真っ黒になっていました。
 
 
 
▼中山
そういうことも追い風になっていたので、創業間もない頃は人前には出ずにPRしていたんです。しかし、2014年に人前に出る大きな転機がありました。
 
 
 

自ら前に出てPRを始めた大きなキッカケとは


 
Q:どんな転機があったんですか?
 
▼中山
化粧品事業は、3年目までに廃業される会社が多いらしいです。
KUROMON COSMETICも創業1年を過ぎた頃からテレビで取り上げていただくことも減っていきました。
 
そういう背景があり、私の周りの方から「秀子さんは、もっと前に出てPRした方がいいよ!」と言って頂けました。
 
そこで、光文社の美容雑誌『美ST』主催、「国民的美魔女コンテスト」に2014年応募させて頂きました。
 
するとなんと、思いがけず応募者が約2000名の中、ファイナリストの20名に選んで頂けたんです。
 
 

 

写真:美魔女コンテストファイナルの楽屋でのプライベートショット
 
 
 
▼中山
この頃は、人様の前に出ることもとても苦手でモデルや芸能関係の経験も全くなく、写真に綺麗に映るにはどうすればいいのかと言うことも全くわからなかったので、撮影にとても苦労しました…。
 
しかし、「これからの時代は自分たちで発信していく時代」と思っていたので、このチャンスをなんとか形にしようと思っていました。ブログやSNSなどでもPRを始め、私を入口に化粧品の良さを知って頂けるように活動を始めました。
 
同時期に大変だったのが、商品パッケージやホームページのリニューアルの問題でした。
 
 
 
Q:なぜリニューアルをしようと思ったんですか?
 
▼中山
雑誌「美ST」のライターの方々から「品質はすごく良いけど、この容器だと…」という声を頂いたんです。
 
 

写真:以前の商品パッケージのデザイン
 
 
▼中山
以前のデザインは、私がひきこもっている間に、オーナーの網干が商品パッケージの制作をしたものなのですが、男性目線でシンプルなものだったんです。
 
ライターの方々からの声をキッカケに、デザイナーやモニターの方、黒門市場の方達の声をお聞きしながらリニューアルし、今のデザインになったんです。
 
 
 

写真:現在のKUROMON COSMETC商品「Superior One」デザイン
 
 
▼中山
予算もかかるのでリニューアルに踏み切るのはすごく不安もありましたが、化粧品をお使い頂くお客様の毎日が明るくなるように、満足して頂けるものを提供したいと思い、デザインを一新しました。
 
 
 
Q:その後は、どんなふうにプロモーションを展開されてきたんですか?
 
▼中山
2016年の11月頃、近畿大学の産学連携のブースで説明していたのですが、あるお2人の男性が来られたんです。
 
「男性で化粧品に興味があるのは珍しいなぁ」と思っていたのですが、その次の日に、コクミンドラッグ様からご連絡をいただいた時に、前日お越しになっていたのは創業者のご一族の方々だったことがわかりました。
 
そうして、「年内に店舗に置かせてもらいたい」と言って頂くことができました。
 
店舗に置いて頂くPOPについては、コンビニ店長時代の経験から工夫をし、お客様に手に取っていただきやすいようにしています。
 

 

 
 
その後も、「薬剤師がオススメする化粧品」ということで、調剤薬局からもオファーを頂いていたり、視聴者約20万人のテレビ番組「ショップチャンネル」でPRをさせて頂くと、周囲の方々が認めてくださるようになってゆきました。
 
 

放送後には、ジェル・ローションなど含め約3500個のオーダーを頂くことができました。
 
 

▼視聴者20万人のテレビ番組「ショップチャンネル」より引用(原文そのまま)
 
“これは最高です。つけた翌日から しっとり ふわふわ 今まで 色々な化粧品を使ってきて こんなの初めてです。潤いが、一日中 続いています。付けるのが楽しみです。自分 頬を ついつい 触りたくなります。絶対に リピですね”
 
“驚きです・とてもいいです・目のまわり 口元の衰えに悩んでいましたが気にならなくなりました・本当に嬉しいです・今 2個目ですが肌が潤ってます・・。”
 
“クロモンコスメ、すっぽんって始めはなんだか変な印象でしたが、買ってよかったです!
早速使って、その翌朝、生まれ変わった私がいました!
鏡を何度も見返しましたが、本当に嬉しい気持ちです!
乾燥肌で、夜にたっぷり保湿しても、翌朝には乾いていた今まで。
こんなプリプリは今までなかったです!
リピ、確定です・“

 
 
 

今後の夢・目標


 
▼中山
「ニッポンで生まれたもので人々を美しくさせて頂きたい。自分らしく生きて頂きたい」と思いながら活動しています。
 
私は、自分の子どもはいません。
しかし、化粧品の企画・開発・販売を通じ、教育の機会を提供させて頂ければと思っています。
 
焼津水産高校の生徒の皆さんに「皆さんが育てられたスッポンをこの化粧品を作わせて頂いてるんです」とお伝えすると、目を輝かせながら「え!本当に!?」と言ってくださっていて、生徒の皆さんの自信にもなっています。
 
 

 
 
▼中山
また、近畿大学の学生からも、「化粧品用コラーゲンの抽出、精製、加工技術を学ぶことを通じ、この実績から志望していた企業で働けるようになりました」と言って頂いています。こうして若い方々の夢が叶っていくのって素晴らしいことだなと感じています。生徒の皆さんの努力があって、化粧品をお客様にお届けできていることができていることがとても嬉しいです。
 
化粧品を使っていただくことで焼津水産高校や近畿大学の学生の教育にも繋がり、「みんなでハッピーになれる」と思っていますし、今後も、この輪を広げていきたいです。
 
 
 
Q:「Superior One」は、どんな人に届けたいですか?
 
▼中山
私も40代に入り、とても忙しい部署で看護師のお仕事をしている時に乾燥肌でガサガサになっていました。仕事がとても忙しく、ストレスでいっぱいだとスキンケアがおろそかになりがちだと思います。
 
ジェルエッセンスの感想で「肌にスーッと入っていく」という感想を頂きます。モイスチャーローションとの2ステップ10秒ほどでスキンケアが完了し、うるおいをチャージして頂けると思います。
 
 

 
 
▼中山
この2ステップを経験された方からの嬉しい報告の一例です。
 
例えば、自撮り写真をSNSに載せたくなかった方が自信を持たれ、今では写真をたくさん掲載されています。
また、冬の黒門市場の乾燥した冷たい風でダメージを受けられていたご年配の女性の方々からもお喜びの声をたくさん頂いています。
 
やはり、肌に自信が持てると、人様の前でもイキイキとした笑顔になってゆきますし、言葉が前向きに変わってゆく方が多いんですよね。
 
私は46歳の頃からこの化粧品を使っていますが、53歳になった自分への自己投資だったと思っています。
 
引っ込み思案だった私も、肌に自信が持てる様になると、人様の前で自由に自己表現する事が楽しくなりました。
皆さまにも、この感覚を味わって頂けると嬉しいです。
 
 
 
Q:長時間のインタビュー対応ありがとうございました。中山さんの「綺麗になって頂きたい」という想いや気持ちがわかりました。
 
▼中山
看護師時代、「部屋から出るのが嫌だ」と話されていた患者様のことを思い出してしまうんです。自信を持って外出をして頂きたいなと思っています。
 
おいしいコーヒーを入れる時に、「おいしくなーれ、おいしくなーれ」と念を込めると言うじゃないですか? 私も「綺麗になーれ、綺麗になーれ」と化粧品に念を入れています。
 
お客様には、毎朝「Superior One」を使って「今日もがんばろう」と思って頂ける様に私も挑戦し続ける人生を送っていきます。
 
 
 
 

中山秀子プロフィール

看護師としてオペ室で勤務している時に「コラーゲン」の存在を知る。40歳の時の体力低下・肌トラブルを機にスッポンのコラーゲンの可能性に気づき、医師・薬剤師・看護師が勧めるスキンケア化粧品を近畿大学薬学部と共同開発。2013年には「KUROMON COSMETIC」を創業。2014年美魔女コンテストファイナリスト。
 
 
 
KUROMON COSMETIC 公式サイト