才能も何もなかった私がイベンターになるまで/寺嶋美穂のストーリー
Q:自分には強みがないし、やりたいことが分からないです。
好きな事を見つけるにはどうしたらいいですか?
そんな思いを、胸に秘めて悩んだ経験は誰しもあるのではないでしょうか。
そんな方へ読んでもらいたいストーリーです。
***
「やりたいことが分からない」
「自分には何が強みなのか分からない」
「何をしたらいいかわからない」
そんな人に向けて、「人は誰でも、何歳でもなりたい自分になれる」と提唱しているのが、
イベンター・コンテンツクリエイター、寺嶋美穂さん。(写真左)
女性の起業支援
婚活プロデュース
イベントディレクション。
人と人の出会いからイノベーションを起こすをモットーに企画したイベントは200以上。
2019年5月には、大阪市中央公会堂にて、エンタメ×社会貢献をテーマにしたイベントを主催。
NPO代表・経営者・インフルエンサーなどなどがゲストとして、多くの著名人が大阪に集結しました。
寺嶋さんが今一番、力を入れてるのが女性の自立支援。
キラキラと自分らしく輝く女性を増やしたいという想いから、起業支援や婚活アドバイスまでをおこなう、パワフルな寺嶋さんの人生には、様々な紆余曲折がありました。
その人生ストーリーに迫ってみます。
目次
なぜイベンターとして活動することになったのか
Q:美穂さんは、大阪市中央公会堂のかわるフェスを主催や、婚活プロデュースなど様々な活動を行われていますね。学生時代から起業しようと思ってたんですか?
▼寺嶋
いや、そんなことは考えてなかったです。
起業は成り行きです。
元々学生時代は全く自分に自信がなく「ブランクボックス」で大した才能はない、人より器用ではないし、得意なことも何にもありませんでした。幼少期から人見知りで、臆病でちょっとしたことで泣いてしまう、どこにでもいる女の子でした。
そんな私が大きく変わったのは、5才の時。
父が小学生になる前の2月に、他界しました。
父が自殺したんですよね。
まだ32歳でした。
テレビ局勤めだった彼は様々なプレッシャーに押しつぶされての事だった様です。
当然幼い私はその事情を知るはずもなく、大人の配慮で、事実を聞かされることなく、母も何があったかは教えてくれない…。
帰ってこない父に、幼いながら、ただ事じゃないことが起こったことは察しました。
Q:もう30年前くらいのことですよね。ご家族ともに大変だったんじゃないですか?
▼寺嶋
そうですね、母一人、子二人になったので、母の実家の近くに引越しをし環境も変わり、友人もいなくなり、父はいない….今思えば、このころの自分が一番暗いですね。
暗いせいか,学校でもイジメられました。
ある時、ちょっとした親子ゲンカの中で母から
「あんたのせいでこんな辛い目にあっている」というようなセリフを言われたことがありました。
「あぁ、自分は家にもいらない子なんだ」ってその時深く刻まれました。
もちろん今から思うと30歳で最愛の人を失い、小さな子どもを抱え、余裕のなさからでた言葉。子どもの失態を叱ったことからついでてしまった台詞だと理解できます。
でも5歳の私は当初はそんな風には思えなくて…
誰からも必要とされない、人よりも優れた才能があるわけではないと
本当の意味でブランクボックスだと自分を捉えていました。
でも、不思議とキズは徐々に癒えていくもので、段々とクラスメイトとも話せるようになりました。本来はお調子者な性格だったので人に好かれ、いつの間にかクラスの輪の中心にいるような存在になっていきました。三枚目キャラですね。
中学生の時期は、髪の毛を真っ赤にしてました。思春期を迎え、ヤンキーに(笑)
曲がったことをする大人が嫌いだったんで、そういう先生には反抗して攻撃したりもしちゃってて。
変なポリシーのあるヤンキーでしたね(笑)
Q:すでに人生の波がすごいですよね。学生の頃に将来の事とか考えてましたか?
▼寺嶋
受験の時期にはじめて考えました。それまでは考えてなくて。
中学3年生になるとみんな自然と将来のことや受験校を語るようになって。
「やばい、私も受験校ぐらいは考えないと」って焦って将来について考えるようになります。
「ヤンキーしてる場合じゃない自分もそろそろ大人になるか…」と。
でも、気づいた頃には取り返しがつかないほど、学校での評価は下がっていました。
内申点が本当になくて。今までのツケですね。
学級指導の先生にも、「お前、もうちょっと大人とうまく付き合えよ。ゴマすって、社会で上手いことやることを覚えないと」って言われました。
なんとか勉強しまくって行きたい高校を受験資格は手に入れ、受験することに。
でも、倍率が3倍だったので、当然合格は難しく…。
仲の良い子たちと受験したら、私だけ不合格でした。すごく悔しかったです。
この時に、世間の風、社会で生きていくということを痛感しました。
中学時代・高校時代で体感した、他者からの「評価」を軸にする無意味さ
Q:高校時代はどう過ごしていたんですか?
▼寺嶋
志望校ではなかったけど、これから全てやり直そうと思って、ガラっと風貌を変えて
高校デビューしました。
髪を黒くして、ショートにして真面目路線に一転(笑)
Q:ガラッと風貌から変えたんですね。面白いですね。
▼寺嶋
形から入るタイプなので、変えてみました。
人は見た目でも判断されるので、見た目を変えることも必要だなと。
受験に失敗したことが本当に悔しくて、今度は絶対負けたくない。
大学は志望校を受かるんだと、必死で1年生から勉強し、自分の夢は自分で叶えると躍起になってました。
おかげで学年3位になり生徒会も二期勤めて、中学の生活とは一転。
いわゆる優等生キャラになりました。先生やみんなからも「寺嶋は優秀だ」って褒められるようになりました。
中学ではどうしようもないダメなヤツだと思われてましたが、高校ではできるヤツと評価されたんです。私自身は何も変わってないのに真逆ですよね。
この経験から、「所詮、人は見たいようにしかみない。」と感じ。
他人の評価を気にすることが意味のない事で、一番大切なのは自分がどうありたいかだと。
「明日死んでも良い」と思って生きる
▼寺嶋
当時から抱いていた譲れないモットーがあります。それは
「明日死んでもいいように、常に毎日を全力で生きる」です。
Q:お父さんが突然亡くなった経験から、そう思われるようになったんですか?
▼寺嶋
そうですね。今から振り返るとそれがきっかけだったのかもしれません。
人は誰しもいつ亡くなるか分からない。
なのに時間が無限にあるかのような生き方をしている。
私は幼い経験が痛烈に残っているから、今という時間を大切に、ある意味脅迫観念に狩られているかのように全力で走るのです。
過去の経験から今はやりたいことを全力で、プライベートも仕事も一緒です。
むしろ仕事とプライベートの境目が今は無くなってきて、全部溶けて一緒になっていて。
「仕事=趣味」ですね。
Q:美穂さんはビジネスをどうやって形にしていったんですか?
▼寺嶋
最初は大学を卒業してから美容師になりました。
美容師の仕事が安定するようになった時期に、美容師以外の活動をしていこうと思って出会いのパーティーのイベントを主催し始めました。私も26歳くらいだったし、彼氏欲しいなというじぶんの希望もあって(笑)どうせやるならみんなで楽しもうと企画をしました。
初回から20対20の恋活イベントをしていました。
それを事業にするつもりは全くなくて、自分も楽しいから続けてました。
参加者にも楽しい、またして欲しいと喜んでもらって、自然と2回3回と長く続くイベントとなっていきました。
当時は飲み代だけを請求してたので、3、4年は趣味で活動をしてました。
その後、このボランティアで続けていたことが、不思議と仕事に繋がっていきました。美容師をしてることもあって、「ファッションを教えて欲しい」と言ってもらえて。
恋愛の相談に乗っていたら「コンサルしてほしい」と、お客様からの発信でメニューができていったのです。
Q:コンサルやファッションからなぜイベンターに転身されたのですか?
▼寺嶋
ある時インフルエンサーの方と仕事をすることがその方からの言葉がきっかけでした。
「なんでそんなに人を集められるのに、それを仕事にしないの!?人を集められる、企画を作れるのは一つの才能だよ!」って言われたんです。
▼寺嶋
そこから、
【人の心に火をつけるイベントを作っていく】
ということをメインにフリーランスとして本格的に活動しました。
▼寺嶋
この時期に、わたし自身も父が亡くなった年の32歳になり、
ここから本格的に私の人生がスタートしました。
今では父の死は、最後のわたしへのプレゼントだったと、とらえることが出来るようになりました。
臆病で、何も出来なかったどこにでもいる女の子が冷水にほり投げられ、強く生きるしかなく。打たれ強さや、挑戦する心を残してもらえた。だから今がある。
この経験は活かしたいですね。
Q:夢があって最初から今の形を目指していたわけではなかったのですね。
▼寺嶋
そうですね。人生も恋愛も仕事も正解なんてない。
なのでやってもみないと分からないんですよ。
後からこうしたら良かったと思っても仕方がない。やってみて起動修正する。
それが一番早い。なので、私はなんでもやってみて足りない部分を自分で成長させ、周りの人の力を借りながら形にしていっています。
要は自分の心が動くことに敏感に反応してやってみることです。
今後の夢・目標
Q:これから、美穂さんのビジネスはどのようなことを目指しているのですか?
▼寺嶋
現在、私は企画屋、コンテンツクリエイターとして、婚活や起業相談、イベントプロデュースといった活動をしています。幼い頃はブランクボックスでどちらかというと人より不器用な私が、今では色々できるようになりました。こんなわたしでも、ありがたいことに起業してお仕事をもらうようになりました。
ひとは望めば何にだってなれる。誰にでも可能性は無限にあります。
ただ手段方法や情報が足りないだけなんです。それを多くの人に伝えたいです。
世の中には素晴らしい才能を秘めている方がたくさんいます。そんな皆さんをじぶんらしく歩むためのお手伝いができたらなと思っています。
そのために女性のグループを作ったり、自分の能力を使って活動してもらう場を作ります。
女性の支援を1番力を入れています。
夢を叶えたい女性を応援し、自分で未来を選択して凛と歩む大人の女性、「自立した女性」をもっと増やしていきたいと思っています。
Q:これからが楽しみですね!では最後に、この記事を読んでいる人にメッセージをください。
▼寺嶋
「自分がどんな人が好きなのか分かりません」
「夢がない」
「自分には才能がない」
という声を聞きます。
自信を持てないとご相談を受けることも多くあります。
人が自信を持てないという感覚を持つことは当然です。
だって未来は見えづらく、どうなるかわからない。
自分のことをよく見えていないから不安になるのです。
でもたくさんの人、他者との出会いで、自分が見えてくるキッカケになる。
ロールモデルに出会うことで夢が定まり、ゴールが見えて動き出せるようになる。
身近にキラキラしている大人と出会い、話す事ってすごく大事だと思うんですね。
だから、「こんな素敵な人がいるよ」って伝えていきたいです。
「遠くの誰か」より「近くの人」が変化したら
「自分にもできるかも」って思いやすくないですか?
そんな風に人生を変える出会いのキッカケや、成長できる情報を伝えるセミナーをおこなっています。
そんな小さなきっかけから、皆さんの中に気づきを得て、主体的に自分の人生を選択できる人を増やしたいのです。
じぶん自身で意志をもつ力があれば、道は開ける。
それさえあれば、立ち止まることはあっても前にはいずれ進める。
後ろ向きな気持ちにはなりずらくなります。
皆さんの未来が少しでも自分の希望の形に近づくキッカケを作れたら良いなと思っています。
自分の可能性は何歳になってもあると挑戦出来ることを知って欲しいです。
あなたの未来はあなた自身で変えることができる。
寺嶋美穂プロフィール
大学生時代にあるヘアメイクアーティストと出会い、感動して美容師を目指す。大学卒業後は、美容師をしながら起業にチャレンジ。現在は、企画屋・コンテンツクリエイターとして「自立した女性」を増やすために活動中。
2019年5月には、大阪市中央公会堂にて、エンタメ×社会貢献をテーマにしたイベント、『かわるフェス』を主催。NPO代表・経営者・インフルエンサーなどなどをゲストにし、多くの著名人が大阪に集結した。2020年5月24日に同イベント第2回目を企画進行中。
投稿者プロフィール
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