ぼくがWebエンジニアになるまでの話/生駒智の人生ストーリー
Q:プログラマーやWebエンジニアの仕事に興味があります。
そういった仕事をされている方の人生ストーリーが読みたいです。
***
フリーランスという言葉を聞くことが多くなりました。
「PCとネット環境があればどこでも働ける」という言葉に魅力を感じる人も多いのではないでしょうか。
このIT業界に身を置き、11年活動しているのがシステムエンジニアの生駒智さん、36歳。
華やかな印象のあるIT業界で活動する中で、これまでどんな経験をしてきたのでしょうか。
その人生ストーリーに迫ってみます。
目次
なぜWebエンジニアになったのか
▼生駒
コーディングっていってプログラミング言語を使ってWebサイトを構築する経験を初めてしたのは、大学生の時でしたね。
2005年ごろなんで、今から14年くらい前ですね…。
大阪のあるIT系企業にインターンで2週間ほどお世話になったんですけど、コーディングを通じてチームの中で役割を持てたこととか、他の人に認められ居場所ができたことってそれまでの人生でほとんどなかったんで。あの時の経験が大きかったです。
それから、転職をしながら、25歳の時に、5人くらいのアットホームな会社でプログラマーとして通販サイトの在庫管理のシステムを管理する仕事をしたり、28歳の時に上京して異業種交流会で会った人たちから案件をもらったり。
そのあと、4年前(2015年頃)には、会社でサイトを設計・構築するディレクターとして働くようになっていって、今大阪で、フリーランスとしてこのHAC-Gallery.comや常駐でWebサイト制作・アプリ制作の案件を受けています。
写真:当サイト「HAC Gallery.com」の設計・構成
Q:生駒さんってどんな学生だったんですか?
▼生駒
実は、サッカー選手のメッシもそうなんですけど、「成長ホルモン分泌不全性低身長症」っていう先天性の病気で、幼稚園の時にはすでに周りの子より10cmくらい背が低くて、「チビ」っていじめられてたんです。
写真:幼稚園の頃
▼生駒
それで、小学生になっても背の順で並ぶじゃないですか?
ずっと一番前だったのがコンプレックスでした。
自分でも「なんでこんなに小さいんやろ?」って悩んでたんですけど、9歳の時にこの病気だって判明したんです。それから国の補助を受けながら病院に通ったりホルモン注射で治療を続けて14歳の時には160cmくらいに伸びたんですけど、補助金を受けられる身長制限を超えてしまったので、ストップしました。
Q:クラスメイトとコミュニケーションを取るのが苦手になりますよね?
▼生駒
そうですね。身長とか見た目だけで評価されるのが悔しくて、小学生時代は勉強や運動、グループ活動の班長への立候補など目の前のこと全部に頑張っていました。
写真:小学生の頃
▼生駒
それで、周りから「勉強ができるね」と評価されて自信もついていくんですけど、10歳の時にテストでわからない問題が出て、、、カンニングをしちゃったんですよ。
Q:なるほど、勉強に関しては評価されていたので、そこは守りたかったんですか?
▼生駒
今思うと、コンプレックスから人一倍承認欲求が強かったことが裏目に出てしまったんだと思います。
母や先生には今までの経緯や気持ちをカミングアウトしたことで、それまでは相談できなかった人にも心を開くことができるようになりました。
でも、クラスメイトからは「カンニングしたやつだ」とバッシングを受けるわけで、そのことでまたいじめられてました。
幼少期からのこういった経験で、気持ちを言葉にすることに恐怖や諦めを感じてしまい、中学生になっても、うまく自分を表現できませんでしたね。
その中でも、気遣ってくれたり一緒に遊んでくれた3人くらいの友達は、今でも付き合いのある大切な仲間です。
写真:中学生の頃
Q:高校に入ってからはどうでしたか?
▼生駒
高校は、それまでのいじめっ子がいない高校を選んで進学したんですけど、そこが結構な受験校で、マウントの取り合いみたいな雰囲気がいやだったというか。2年生の時に学力優秀なクラスに入れたんですけど、模試で結果が出なくて、3年生の時は、学力が下のクラスに落ちてしまったんです。
精神的に不安定になり、モチベーションも上がらないまま受験を迎えてしまったので、大学には不合格で浪人生活に入りました。
自信がなかった自分にとっての、大きな転機
Q:IT系の専門学校ではなく、大学に進学したんですか?
▼生駒
はい、一浪の末、志望していた関西の大学に後期試験で倍率17倍だったんですけど、進学合格できました。
そこで1つ目の転機があったんです。
奈良市の当時イトーヨーカドーにあった創作イタリアンのお店で夏休み1ヶ月アルバイトをしたんですよ。そこでホールの仕事を覚えて。
人と接するのが苦手という性格を克服したいという思いで飛び込んでいった形なので、結構な挑戦だったんですけど、評価してもらえたのがうれしかったです。
Q:それは大きなステップですよね。大学生活はどうでした??
▼生駒
自分の入った学部が1学部だけ本学と別のキャンパスだったんで、ほとんどクラスって感じで。
高校までとあまり変わらないぐらいの小さなコミュニティだったんですよ。
大学生特有の「ノリが悪い」とか言われたり、献血する時に、「先天性の病気があるからできない」と断られた時も、「嘘やろ、注射怖いんやろ」と揶揄してきた心無い同級生もいたりで、距離を取るようになって。
でも、さっき話したIT系企業へのインターンの体験が大きな転機で。
ITバブルが始まった頃くらいで、まさにこれから時代が大きく変わるっていう雰囲気でしたし、チームの中でサイトという形でイメージを作るということを自分のスキルで自己表現できたことがすごくうれしかったんですよ。それを評価されたことで「居場所ができた」とも思えたし。
写真:インターンの時(大学3回生)
写真:大阪・江坂駅と当時インターンで勤務した会社が入っていたビル
▼生駒
ちょうど、mixiっていうサービスも出てきて、元々付き合いの少なかった小・中学校の同級生とも繋がれたことも大きかったですね。
時間はかかりましたが自分のことをわかってもらえたり、気があう人と一緒に居られるようになったのが本当に嬉しかったです。
Q:就活に関してはどうでしたか?
▼生駒
就活は苦労しましたね。気持ちを言葉で表現するのが苦手なんで、なかなか内定をもらえなくて。やっとの思いで内定をもらった会社でも上司のパワハラにあっちゃって、パニック障害になって退職したんです。
でも、このことから、プログラミングとかコーディングをしっかり学び直そうと思って2年間専門学校に通いました。卒業後はプログラマーとしてECサイトの在庫管理をするシステムを運用する担当をしてたんです。
アットホームな雰囲気でストレスも少なかったので、ここで働きたいなって思ってたら、半年でM&Aで社長が変わったんです。その人にも結構なパワハラを受けてメンタルを崩してしまって退職しました。
Q:人間関係にめっちゃ苦労されてますよね。
▼生駒
やっぱり技術職とはいえ、スキル面の評価だけじゃなくて、人間的に向き合ってもらえたり適正に評価してもらえないと辛いですね。
退職後は絶望感から半年ニート生活を送ってたんですけど、その時に東日本大震災が起こったんですよ。
脳が揺れてる感じがして、テレビをつけたらすごいことになってて。
「自分はこのままニートしてていいのか?」
「今の自分にしかできないことをやりたい!」
「フリーでも自分だからできるサービスって何だろう」
って思うようになりました。
フリーランスとして活動してみてわかったこと
Q:会社勤めでも苦労されてますもんね、やはりフリーランスとして活動していこうと?
▼生駒
偶然とはいえ新卒から2回も人間関係で正社員を辞職しているので、ただの職歴に縛られずスキルで適正に評価されたいという思いから自然とフリーランスを意識するようになりました。
まずはフリーランスとしての働き方をつかもうと、登録制のマッサージ店で働いたりもしました。
最初は、覚えるのが大変だったんですけど、スタッフから評価してもらえて。
でも、お客さんからは満足を得られないこともあって。
指圧をするにも体格で左右されるし、親指で全体を支えないといけないのでうまくはまりませんでした。
それから、最先端の環境でキャリアアップしたいと思い上京したんです。
異業種交流会に参加して、「こういうことできます」と伝えたら「ちょうど探してました」って言ってもらえて、個人で案件を受注できて、めっちゃうれしかったです。
でも、中にはいろいろ文句を言われたり代金を支払ってくれないクライアントもいて。
結局、比較的支払いがしっかりしている派遣会社でもエンジニアとして働き始めたんですけど、そこの勤めた会社ですごくやりがいを感じました。
サイト設計や構築を1からおこなうのが楽しいんですけど、プロジェクトのメンバーに「〇〇してください」とお願いしながら大規模なサイトを作るっていうディレクターとしても活動できて、上司やメンバーから評価もされて。
「ここで頑張ろう」と思っていたところで、母が台湾旅行中に急性心筋梗塞で倒れたと連絡があったんです。
Q:自分と向き合ってくれていたお母さんがそうなったのはビックリしましたよね。
▼生駒
親元を離れているどころか海外だったので、すぐ迎えるわけもなく本当にパニック状態でした。
パスポートって発行に時間がかかるじゃないですか?
でも、こういう事情を伝えたら早く発行してもらえて、即台湾まで直行しました。
現地のツアーコンダクターの人が病院を手配してくれたり、同行していた友人が迅速に動いてくださったことで一命をとりとめたと知ってすごく感謝しました。
でも、もうみんないつまでも元気でいられるわけじゃないんだなと。
何かあった時にすぐ駆けつけられるようにしたいなと思って、「関西で働けないかな」と思っていたら、フリーランス専門の仲介エージェントの大阪支社ができたタイミングと重なり、そこでお世話になることができたんです。すごく運が良かったと思います。
今後の夢・目標
Q:こうやって振り返ってみたらいろんなことがありましたよね。今、あらためて生駒さんはこれからどんなふうに活動していきたいですか?
▼生駒
今でこそ「フリーランス」っていう言葉とか、どこにいてもPCとネット環境があれば仕事ができる人が増えてますけど、大きく次の2つの課題があります。
・IT業界の後天的な人材不足
・発注者・受注者のパワーバランスが崩れ、適切に評価されてない
自分自身がパワハラを受けたり、理不尽な理由で評価してもらえなかった経験があるのでやっぱりそう思ってしまうんです。
人材不足については、すでにオンラインスクールの講師の活動もしてるんですけど、これからプログラマーとかエンジニアを目指す人に、スキルはもちろんですけど具体的な仕事現場というか、現状も伝えた上で是正できる環境を作っていきたいなと思ってます。
自己表現に苦労していた自分を救ってくれた職業でもあるWebエンジニアという仕事を通じて、クライアントの思いを代弁するサイト・アプリを作ったり、同じビジョンを持ったエンジニアを増やせていけたらなと思ってます。
また、適正評価についての仕組みを取り入れている会社も増えてきてますけど、本当にこれからというか。東京だけじゃなくて、大阪やローカルで働くエンジニアがどんなライフスタイルでも生活できる文化や仕組みを作っていきたいです。
そうすることで、いろんな人の夢とか表現したいことを応援できると思うので、がんばっていきたいですね。
生駒智のプロフィール
大学時代のIT系企業でのインターンが転機となり、Webエンジニアを志す。幼少期からの人間関係の経験から就活で自己表現がうまくできず苦戦。会社員時代にパワハラを受けて退職する経験をした。現在はフリーランスのフロントエンドエンジニアとして、地元の関西圏を中心に活動中。今後の目標は、IT業界の人材育成と適正評価の仕組みを作ること。
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