私が大人の保健室の先生になった理由/古村香月の人生ストーリー

会社員

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Q:性のことで悩みがあり、パートナーはもちろん、周囲の友達に相談できなくて困っています。
大阪周辺でそんな相談ができる場はないでしょうか?主催されている人の人生ストーリーも読んでみたいです。

 
 
 
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性の話になると敬遠されたり、下品などと揶揄されたり、まだまだフタをしてしまう日本。
ところが、パートナーに自分自身の性について本音を伝えられずに苦しんだり悩んだりしている人は多いのではないでしょうか?
  

 

  
そんな中、大阪で毎月、性のことをカジュアルに語れる場「大人の保健室」を主催しているのが、古村香月(こむらかづき)さん、35歳。
  
なぜ香月さんは、この活動をするようになったのでしょうか?
その人生ストーリーに迫ってみました。
 
 
 

性をカジュアルに語れる場「大人の保健室」とは


 
▼香月
よくこのイベントを主催したきっかけを聞かれるんですね。
今こうやってハルさんにも聞かれて、よくよく思い返してみたら「ノリだったな」って思い出したんです。
 
あるカフェで同世代の1人の女性と出会ってお話をしていると、「彼女も香月ちゃんと一緒で性を大切にしている人だよ」とオーナーさんから紹介されました。
 
そこから一気に性の話になり「自分にとってのセックスって何?」となった時、ふたりとも「魂の交換!」って。
 
「え!!めっちゃわかる!えーーー!?同じ感覚の人に初めて会ったー!!」とふたりとも興奮気味。
 
そしてわたしから「今度一緒にイベントやろ!」って。ほんとこんなノリでした。笑
 
そのときちょうど週間マガリさんから1日ゲスト店長のオファーを頂いていたので、2018年5月に『本音BAR(現在は大人の保健室)』をスタートさせました。
 
 
 
 
 
▼香月
実際にイベントをしてみて、男女のセックスに対する認識の違いが多くとても楽しかったので定期的に開催できるところはないかなと思い、山下美樹ちゃん@chiby_smileに話をしました。
 
彼女は「黒門カルチャーファクトリー」というイベントスペースの運営メンバーで相談したら即答でOKをくれました。場所も日本橋だからアクセスも良くて。
  
黒門以外でも出張保健室のご依頼をいただいて大阪市内の数店舗で開催したこともあります。
 
 
 
Q:「大人の保健室」には、どんな人が参加されてるんですか?
 
▼香月
学生、主婦、会社員、経営者さん、いろんな方が来てくれてます。
夫婦で参加してくれたりも。
 
「話を聞くだけでも参加していいですか?」という内気な人もいるんですけど
いざ参加してみると一番赤裸々に語ってくれる女性もいました。
 

写真:大人の保健室参加者と
 
▼香月
例えば、「いつからオナニーしてた?」って話になった時に先程の内気な女性は「わたしの自慰行為のデビューは小1のときで。。。」と話し始めて、「えー!すごい!どんな感覚だった?」って興味津々なんです。
 
誰ひとりとして否定も敬遠もしない。みんなやっぱり知りたいんですよね。他人の赤裸々な話。
自分は変じゃないかとか気になっている人は多いと思います。特に女性は。
 
 
 
Q:「みんな話したいんだな」っていうニーズは事前にわかってたんですか?
 
▼香月
んー…20代半ばくらいから女の子同士で集まっているとそういう性の悩みを聞くことが多かったんですよね。
 
「そういうふうに悩んでるって彼に言ったら?」って言うと、「言えない」っていうんです。
 
そして「彼のことは好きだから結婚はしたいけど、セックスは満足できない。」ともいうんです。
 
「性のことで不満があるのに、その人と結婚するの?あと60年は一緒だよ?」と聞いてみても、「でも言えない、恥ずかしいし引かれたらどうしよう。嫌われたらいやだ。」っていうんです。
 
結婚の話はどんどん進めるのに、そこに向き合わないことにわたしは違和感がありました。
 
 
 
Q:「結婚前に性の悩みや価値観は打ち明けた方が良い」って思うのはなぜなんですか?
 
▼香月
セックスの歩み寄りができれば、スキンシップも増えて、毎日の幸福度ってものすごく更新すると思うから!
そして私自身が性の不一致でつらい思いをして、離婚した経験があるからです。
 
食欲や睡眠欲を大事にしてる人は多いんですけど、性欲を大事にしてない人が多いって思うんです。
 
いろんな価値観やスタイルがあると思うから、もちろん全員が大事にしなきゃだめ!とは全く思っていなくて大事な人にとってはしっかり向き合うことが大事だよって。
 
わたしにとってセックスは幸福度を上昇させるための大切な行為。
なのでパートナーときちんとお話したいポイントなんです。
 
19歳~26歳まで一緒にいた元旦那さんのことは人として心から尊敬できる人でしたし、今でも尊敬しています。
 
大好きだから抱いて欲しいし、抱いてもらえないことに少しずつモヤモヤやイライラが募るんですね。
 
でも相手は超が付くほどのプラトニックな男性で手をつないで眠りに入るだけでしあわせを感じてくれる素敵な人でした。
 
でもそれだと私は満足できなくて、何度も誘いましたし、自ら襲い掛かる(笑)こともありました。
 
寝ている旦那さんの隣でオナニーをしていたこともあります。
 
でも、気持ちよくなってくると涙が出てきて、苦しくなるんですよね。
 
いろいろ掛け合ってもみましたが性欲のレベルが私と比べて極端に低い旦那さんはわたしに応えようとすればするほどしんどくなっていく。
 
我慢しているわたしもしんどい。我慢させているという自覚がある旦那さんもしんどい。
 
離婚にいたるまで何度もセックスの頻度については話しましたが、交わることのない平行線続きで、離婚に至りました。
 
 
 
Q:「性の不一致離婚する」っていうことに両親は賛成してくれたんですか?
 
▼香月
お母さんは最初、「あんな素敵な人をセックスのことだけで?」って。
 
するとお父さんが「弘美には香月の気持ちは分からんよ。俺といて不足に感じたことないやろ?」って。
 
わたしが人生で一番「この父親の元にうまれてきて本当によかった。」と思えた瞬間でした。
お母さんはその後、離婚カウンセラーの方の本や、レスで苦しんでる方たちの本をいろいろ読んでくれたみたいで、後日「レスくらいって言ってごめんね」って謝ってくれて。
 
私を理解するために行動してくれたことがすごくうれしかったです。
 
両親に素直に相談できたのも、両親とよく恋愛や性についての話をオープンにしていたことが影響していると思います。
 
 
 

幼少期から一人の人間として向き合ってくれた両親


 
Q:なるほど。だから香月さんは、性に対してオープンに話せるんですね。
 
▼香月
両親に対しては、『いい意味で放任。最後は必ず味方してくれる』っていう絶対的な安心感があるんです。
 
わたしの感覚でしかないけど、うちのお母さんは他のお母さんとは一味も二味も違うんです。
「優しい」とかそんな言葉では言い表せない感覚。
 
 
Q:そこまで思えるのは、、、どんな経験からそう思いますか?
 
▼香月
えーと、小学校に入って集団登校をするようになったんですけど、私はとにかく自由な子どもだったから、蝶を見ると追いかけるし、ミミズを見つけたら立ち止まるっていう感じ。笑
 
困った6年生の班長は先生に相談したんです。
 
「香月ちゃんの面倒は見られません」って。そりゃそうだ。笑
 
そして先生からお母さんに電話で事情説明+「注意してください」って。
 
普通の親ならきっと「どうしてみんなと同じようにできないの?ダメでしょ。」っていうと思うんです。
 
でもうちのお母さんは違うんですよ。
 
先生にこう答えます。
 
「明日から私が一緒に登校するので、集団登校から外してください」って。
 
え?ってなるでしょ?笑
 
でも小学校一年生の私を一個人の人間として向き合おうとしてくれたんですよね。
 
 
 
Q:それからはずっとお母さんと登校してたんですか?
 
▼香月
そうそう。笑
でもある日、「あれ?なんでお友達と学校行ってないんだろう?」って思うようになって。
お母さんに「なんで?」って聞いたら、さっきの事情を小学1年生の私に分かるように説明してくれたらしいです。
 
しばらくじっと考えて「わかった!香月、兄ちゃんお姉ちゃんたちと一緒にちゃんと歩く!」って言って
 
次の日からきちんと集団登校できるようになったみたいです。
 
振り返るとお母さんの子育ては痛みを伴う危ないことも本人が理解するために実際にやりたいようにやらせてみる!ばかりだったな、と。
 
同じく小学校低学年のいつだったか、カッターナイフで石鹸を削ってシャボン玉液をつくる!と言い出したわたし。
 
近所のお母さんたちが「危ないよ!」と止めるなか、私のやりたい欲を優先させてくれて。
 
まぁ案の定、指をざっくりやってしまって。
 
母は怒ることもなく、大出血した私を抱えて救急病院に走ってくれました。笑
 
今でもめちゃくちゃ記憶にあるし、一生傷も残ってます。笑
 
あと、高3の進路選択の時も私を一個人と人間として尊重してくれた出来事があります。
 
 
 
Q:進路って親の希望や意見に影響される人が多いですよね。どんな出来事があったんですか?
 
▼香月
高3のとき、担任が変わったんですが、とにかく肌のあわない先生でした。
なにかと目の敵にされていたなという感じ、、、卒業シーズン、担任はニートを出したくないじゃないですか?
 
「どこでもいいから願書を出すなり就職の面接を受けるなりしなさい」と言ってくるんです。
まぁ当たり前なんですけどね。笑
 
でも私は「わたしの事をよく思っていないこの先生に私の内申書なんて書けるか?
いやいや無理でしょ。
 
書いてもらったところで、本心からの内容じゃないだろうし取り繕ったまがいものの内申書になる」と思って、「ニートで卒業します」と一貫していました。
そして母にもこのことは報告済みで。
 
というか担任と何かあるたびに「今日こんなこと言われたー、こんなことされたー」と話をしていたんです。
 
いよいよ卒業が近づいてきて、痺れをきらした担任はお母さんに電話。
 
 
 
Q:大変じゃないですか。どんな展開になったんですか?
 
▼香月
「娘のしたいようにさせてやってください。自分でなんとかすると思うので。」って。
 
母あっぱれ!笑
 
小・中・高といろんな事があったけどわたしの「こうしたい」を尊重してくれます。
 
そして何かあったときは最後は味方してくれるし、絶対に守ってくれる。
 
これが私にとっては絶対的な自信の根源です。
 
自分のことがだいすきで、自分らしくいられるのは、本当に両親のおかげですね。
 
 
 

いじめを経験した学生時代

 
Q:そういう両親の元で育った香月さんってどんな子どもだったんですか?
 
▼香月
一言でいうと活発。いろんなことに興味を抱く子どもでした。
 
小学生の頃は虫取りに木登りに鬼ごっこ。女の子らしいと言われるような遊びはほぼしなかったかな。
 
中学校では応援団で副団長をやったりしましたね。
 
中学になると女子ってグループができていくじゃないですか?
どこか面倒だなぁって思ってる部分はありました。
 
「みんなにいい顔しないとうまくやっていけない」みたいな。
 
逆に、男友達と話しているときはめちゃくちゃ楽だった。気をつかわなくていいから。
 
高校3年の1学期のある日の朝、席についたら、女の子4年人に囲まれたんです。
 
 
 
Q:え?なにかやらかしたんですか?
 
▼香月
「〇〇ちゃんから聞いたんだけど、私と●●のこと、悪くいってたんでしょ?」って言われたんです。
 
実際、そんなことは言ってないから、「こういう話はしたよ。それがそう伝わってるの?」って聞き返したんです。
 
 
 
Q:ヤバイ(笑)誤解は解けたんですか?
 
▼香月
「でも、〇〇ちゃんがそういってたんだよ!」って返ってきたんです。
それって話し合う気がそもそもないじゃないですか。私にはYESの回答しか与えられていなくて、もはや確認作業でもない。そう伝えたら、そこから無視が始まりました。
 
親に心配かけたくないからハブられてるのは言わなかったんです。長女だからっていうのもあって。親に作ってもらったお弁当を駅とか公園で食べてる時もありました。
 
ドラマでよく描かれるリストラされたサラリーマンみたいに。笑
 
そういった背景から、夏休みには退学届をもらいにもいきました。
 
 
 
Q:退学したんですか?
 
▼香月
陸上部に入ってたんですけど、その顧問の先生や学年主任の先生から「ここまできてもったいない、卒業しといたほうがいい!」って言われて。
 
それからは体育教官室というところに登校してました。
 
陸上部の顧問が掛け合ってくれたんですよね!
 
 
 
Q:見て見ぬ振りをする先生が多いという話も聞くんですが、そうじゃなかったと。無事に卒業したんですか?
 
▼香月
単位ギリギリの教科もありましたが、なんとか無事卒業しました。
 
そしてその卒業式の日に私の人生においてとても素敵な出来事があったんです。。。
 
卒業式が終わって帰宅しようとしていたところ、 Mちゃんが私のもとに来て突然、謝罪したのです。
 
Mちゃんは高校で一番最初に仲良くなった子なんですけど、私がハブられた時に一番最初に離れていった子でした。
 
実は、Mちゃんは中学の時にイジメにあってて、「香月をかばったらまたイジメにあう」って思ってしまって怖かったんですよね。
彼女の背景を知ると無理もないんですよね、過去の話を聞いていただけに。
 
そのMちゃんが、泣きながら謝ってきたわけで、私のもとにくる時の気持ちとか考えたら、「別に良いよ、Mの過去聞いてたからそうかなって思ってた!」って言って。
 
わたしもちょっともらい泣きして仲直り。
Mとは今でも仲良しです。
 
このいじめがあったからこそ、Mちゃんとの今の関係があるって本気で思えるし
わたしの高校生活で一番印象に残っている出来事です。
 
 
 
Q:高校を卒業してからはどんなふうに過ごしてましたか?
 
▼香月
飲食店でバイトして、少し経ってからドコモショップで働いていました。
19歳の時に彼氏ができて。成人式の3日後に彼氏が住んでる茨城県に引っ越しして、のちに同棲して、結婚するんですけど、26の時に離婚しました。
 
 
 
Q:先ほど話してた性の不一致での離婚ですよね。
 
▼香月
そうです。
お互いのしあわせを考えてのお別れでした。
 
離婚して割とすぐに3.11の震災を経験するんですよ。
この時は命の危険を感じました。
 
 
 

当たり前の小さな幸せを感じた3.11での被災経験


 
▼香月
当時、会社の営業所で事務をしてたんで1人だったんですね。
 
最初の揺れですぐに机の下に隠れたんですけど次第に大きくなる揺れに「建物が潰れる!」と本気で思い、外へ逃げようとしたんですが、歩くこともハイハイすることもできない。
 
そのくらい大きな揺れでした。(茨城震度7)
 
複合機とか棚とか倒れてきて……やばい逃げないと。。。と思ってはいるのに
 
私は全く動けずじまい。ただ幸運なことに私のところだけものが倒れてこなかったんです。
 
水道管が割れて国道が湖になってて、、、クジラがいるみたいな噴水の状態で。
すごかったです。
 
 

 

 
 
 
 
Q:住んでいた家は大丈夫だったんですか?
 
▼香月
半壊してる家に住んでました。
「まだ住める」って思ってたんですよ(笑)
 
私以外の住人は避難所か車で生活していましたけどね(笑)
 
寒いのが我慢できなくてお母さんが前々から送ってくれていたホッカイロがあることに気づいて!
大量に開封してベッドに入れて暖をとってヌクヌクしてたり。
 
「あたたかい」ってしあわせでした。
 
スーパー行ってもコンビニ行っても食べ物は手に入らなかったので、家にあったベビースターラーメンをふやかして食べてみたら、美味しくなかった!
っていうのも今では笑える思い出です。
 
親には「大丈夫!」っていいながらま口座残高はゼロ。財布に千円っていう状態の時があったんです。
 
その時に、営業時代に知り合った取引先の会社の社長さんから、「香月ちゃん!復旧したご飯屋さんがあるからご飯食べに行こう!」って誘ってくれて。
 
 
 
Q:まさに救世主ですよね・・・。
 
▼香月
ホントに。
 
あたたかいご飯なんて食べてなかったからもう本当にうれしかったです。
 
帰り際スマートに茶封筒を差し出して、「これ受け取って」って言われたんです。
 
「これは香月ちゃんへの手助け。もし今後、香月ちゃんの大切な誰かが困ってたら、あなたのできる範囲でいい。方法はなんでもいい。手助けを循環してくれたらいい。ピンチなんだから受け取って!助け合いってやつさ。あはははは」と言って手渡してくれたんです。
 
9月終わりに役所の地質調査がきて、「早く立ち退いてください!」って言われて10月には引っ越ししました。
 
傾斜角度があと1度足りなくて補助金も出なくて、この引っ越しで大阪へ来たんですが、お金がないって本当にしんどかったです。笑
 
ただ「何があっても私はきっと生きていけるだろう」と思えるようになったことと、「当たり前」と「有り難い」についてものすごく向き合う機会になった。
 
わたしの今の性格や価値観、単細胞はこの経験から根付いたといっても過言ではないかなと。
 
 
 

パートナーや仲間との出会いがさらに価値観を変えた


 
Q:なんで大阪に住もうと??
 
▼香月
関西で都会って考えたら、「大阪だ!」って(笑)
あと、12歳まで京都に住んでたから京都の友達にも会えるし、不動産屋に相談したら茨木市の物件を紹介してもらいました。
 
mixiで、他府県から大阪へ来た人たちのコミュニティもあって、そこで出会った人たちと遊ぶようになって。
 
そこで知り合った同世代の人がスペース運営やイベント事業をしていたので
その人のイベントでスタッフをするようになりました。
 
 

写真:当時のイベント
 
 
 
Q:どんなイベントを開催してたんですか?
 
▼香月
世界のビール祭というイベントを運営スタッフをしていました。毎月の定期開催で世界各国の瓶ビールを100種類以上集めて。
サンタ・マリア号で300人規模のビールパーティをしたり。
 
 

写真:サンタ・マリア号のイベント
 
▼香月
お酒全く飲めないんですけどね!笑
主催の巧のことがめっちゃすきやったので、巧が楽しいことやろう!ってなれば何でもよかったんですよね。笑
 

写真:友人の巧(写真)との写真
 
 
▼香月
この頃はみんなで遊ぶのが楽しくて、彼氏もいませんでした。
 
でも、巧が主催した別のイベントで33歳の時に、9つ年下の男の子と知り合い付き合うことに。
わたしと今仲良くしてくれているたくさんの人たちは彼からの繋がりがきっかけなので心から感謝しています。
 
 
 
▼香月
それから、DJわいざんがすごく好きです。
「行動するあなたを肯定します!」とわいざんは言うんですけど、その背景がものすごく好きなんです。
 

 
きっとHACメンバーでもこの動画を見ると背中を押される人がいると思います。
わいざんは今でこそいろんなことに挑戦する人なのですが以前は何かに挑戦しようとした時にブレーキを踏んで踏み出せない人だったそうです。
 
「周りで何かに挑戦して失敗している人をどこか小馬鹿にしてる自分がいた。だから自分もふみだせなかった。その自分がダサいと思ったようで、挑戦するし挑戦を肯定する自分になる」って行動してるんですよ。この考え方、めちゃくちゃいいなって。
 
わいざんはDJわいざんイベントの時に締めくくりでよく「できっこないをやらなくちゃ」をイ流してくれるんですけど、イベント初参加の時、わたし感極まって泣いたんですよね(笑)
 
DJイベントなのに!笑
でもわいざんのDJイベントってそういうあったかい空間です。
 
 

そして、当時付き合っていた9つ歳下の彼にはいろんなことを教えてもらったと思う。
 
彼の性質のおかげで、「この子と一緒にいるには、いい意味で期待しない、求めない、存在してくれてありがとう」という感覚を自分自身に養うことができたかなと。
誰もが認める超変わり者だったんで。笑
 
 
 

Q:どんなことですか?差し支えなければぜひ教えてください。
 
▼香月
彼は周りからも「あんなに変わったやつおらん」って言われる人で、ふたりでルールや法律の話になっても、「そのルールや法律ってお金持ってる権力者にとって有利になるようなことばっかりやろ?僕には僕のルールがあるから関係ない!」って人だったんです。
 
付き合い始めた当初、私にはごく普通の感覚しか持ち合わせてなかったので、彼に自分の価値観をおしつけるところがあって小さな衝突を何度かしていました。
でも彼の話にちゃんと耳を傾けると、彼にも彼の大事な価値観がある。
 
「普通ってないんだなぁ」って思いました。
 
彼を理解、サポートしたかったので、「なんでそう思うの?」って聴いて背景を理解しようと思いました。
家庭環境や幼少期の経験ってホントに様々だから。
 
「この人の価値観を尊重していこう。この人が誰にどんな避難を受けたとしても、私だけは一番最後の砦で理解者でありたいな」って思って2年間向き合わせてもらいました。
 
彼との出会いは大きかったです。
 
今年の春にお別れした時に、Facebookで別れたことと自身の近況報告の投稿をしたら、たくさんの人たちがすごい心配してくれて、ものすごく驚きました。
 
正直、あんな投稿にあんだけの人が反応くれるなんて思ってなかったから。
 
でも友達に分かりやすくSOS出して!って言われて投稿したんです。
 
 
 
Q:どんなふうに関わってくれたんですか?
 
▼香月
コメントが100件以上。
「ご飯食べてるー??行こう!」って!
 
「大阪キャンディのオーナーの彼女だった人」なだけの付き合いな人もいたはずなのにみんながめちゃくちゃあたたかかった。みんなから元気をもらいましたね。
 
 
 



大切な人が生きていることは当たり前じゃない


 
Q: 3.11の震災を経験してたり、みんなに支えられてきて、小さな幸せを感じて生きられているんだなと感じましたが、「生きてるだけでハッピー」という価値観について教えてもらえますか?
 
▼香月
両親は富山に住んでるんでいて、私と妹が大阪に住んでるんですけど、私たちは年末年始とか、ゴールデンウィークや夏季休暇とか大型連休は実家に帰れる時は帰ろうって決めてるんですよ。
 
 
Q:積極的に実家に帰ろうと思うのはなぜですか?
 
▼香月
お父さんが60歳の時に平均寿命までは生きてると仮定して、あと何回顔を合わせて話せるんだろう。一緒にご飯を食べられるんだろうって。
私たち姉妹が帰省できる日数を計算したら、衝撃的な結果だったんです。
 
 
Q:わかっていてもなかなかしないことですよね。どんな結果でしたか?
 
▼香月
けんじと顔を合わせられる日数 400日
ひろみと顔を合わせられる日数 640日

 

 
 
「いつまでも生きてるわけじゃないんだなぁ…残された時間は短いんだ」って感じましたね。
 
 

 

 
 
Q:実家に帰った時は、両親と仲良くしているんですか?
 
▼香月
お父さんは今の時代の多様な価値観にまだついていけているおじぃだと思うけど、たまに自分の価値観を押し付けてくる。
 
「それはお父さんの時代の価値観でしょ?」って口答えしたら、「今すぐ大阪帰れ!」って帰省したその日に言われたこともあります。笑
 
そしたらお母さんが泣いて、「そんなこと言ったらダメ。せっかく家族で楽しい時間過ごせるのにぃーーー!」って泣いて止めてくれるっていうような茶番(笑)
 
まぁお父さんも私も言われたら言い返すところがあるから、その時はお互いに腹は立ってるんですけどね。笑
 
食事時は、まぁ品性なんてものは遠い遠い世界の事のようで、家族全員が一斉に話し出します。
 
一見すると、自由勝手にみんな話してるように見えるけど、会話が成立している部分と少し経ってから、「さっきお父さんが言ってたやつってさー」と会話が再会するものと、最終きちんと会話が成立しているから不思議でなりません。
 
と、過去、古村家に遊びにきた友達は全員そう言ってました。笑
 
こんなふうに楽しく過ごしてます。
どんな風や。笑
 
 

 
 
Q:香月さんの話を聞いていて、「当たり前なことや、小さな幸せ」を感じるって大事ですね。
 
▼香月
しあわせの沸点は低い方がしあわせです!
 
しあわせの沸点が低ければ、毎日の日常にしあわせがあふれすぎていることに気付ける。
これだけでもう人生はハッピーです。
 

あとは、人生で大切にしてる3つの言葉があって。
 
 
 
Q:3つの言葉とは?よかったら教えてくださいよ
 
①ありがとう
②ごめんね
③愛してる

 
です。
 
ケンカしたまま大切な人か自分自身が亡くなってしまったらお互いに絶対後悔すると思うんですよね。
わたしは3.11の経験からこの事を本当に思い知らされました。
一緒にいることって当たり前じゃないんです。
 
出会った頃は一緒にいられるだけでしあわせだった相手に、次から次へといろんなことを求めてしまう。
 
でもその人そのものの存在がかけがえのない有り難い存在なんだって思えることで、けんかしてしまっても大抵のことは許せばいいんだよー!って本気で思えるようになりました。
 
スレ違い続けることも嫌なので、この3つの言葉は人生でとても大切にしてます。
 
 
 

今後の夢・目標


 
▼香月
個人的な目標は、ないです。
毎日笑っていられればいいです。

 
目標がある人ってめちゃくちゃ尊敬するし素晴らしいとは思うんですけど…
 
私にはまだ「開拓するぞー!」ってなれない領域。
 
毎日笑っていられるし、毎年、毎月、毎日のしあわせ度は今も更新中なので、今のところは十分に満足しています。
 
ちょっと昔に参加した経営者セミナーで、「今の自分に点数を付けてください」っていう質問があって、会場に80人ほどいたけど、「100点をつけた方いますか?」の問いに挙手したのは私だけでした。笑
 
みんなせいぜい50点とか60点で、私は完全に場違いだな、と。笑
でも、小さな幸せって周りを見たらちゃんとあるんですよ。
 
それを感じられる自分でいたいな。
勝ち負けで表現するのは違うかもしれないけど、結局は、毎日笑えてたら人生勝ちじゃないですか?
 
でも、自分が笑えるためには大切な人が笑えてないと。
大切な人が悩んでたらしっかり聞いて、できることがあればやりたいですね。

 
「香月に相談して元気出たよー!」って言ってもらえたら超ハッピー(笑)
その人が笑顔になったら、その周りの人もハッピーになっていく。
これが古村家の「幸せ無限ループ!!」です。
 
性癖のことで自分自身を認められてない人も多いから、子どもの頃から恥ずかしいことじゃないし、大事なことなんだよって伝えたいな!
大学とかで「大人の保健室」はやってみたいですね!
 
性のことまでオープンに話せる関係を築けていれば、他のことはなんてことないものに勝手になってると思うんです。
 
嫌われるからどうしようとか、そんな心配心を抱いてしまう関係の方が私はさみしいと思ってしまうんですよね。
 
だって、あなたっていうだけであなたを選んでくれる人が隣にいたら、人生最高にしあわせだと思いませんか。
 
 
 


古村香月プロフィール


金沢にて出生。
その後、京都、富山へと父の仕事の関係で転校。
高校3年生の時に勘違いからイジメを経験するが、卒業式に現在も付き合いのある親友と和解。
社会人になってからは交際相手のいる茨城県へ引越し結婚するが、26歳の時に性の不一致から離婚。
その後3.11に被災し大阪へ。パートナーや仲間との出会いをキッカケに「大人の保健室」を毎月開催中。