公務員を辞めてフリーランスになった理由(前編)/水樹ハルの人生ストーリー

フリーランス

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Q:公務員から独立し、フリーランスとして活動している人の人生ストーリーが読みたいです。
 
 
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終身雇用が崩れ、人口が減少していく日本。
「正解」が無くなった時代で迷っている人は多いのではないでしょうか。
 

 
「公務員といってももう一生安泰とは言えないです。でも、これからは自分が本当にやりたいことを大事にして働いていきやすい時代です」と話すのが、水樹ハル、36歳。
 
作家、講演活動をしながら、挑戦者を密着取材して記事や動画を制作するストーリークリエイターとして活動中。
 
また、オンラインギャラリーコミュニティ HACの代表でもあります。
 

 

 
 
彼はなぜ、多くの人が「安泰」だと信じている公務員を14年勤めた30代半ばのタイミングで辞め、フリーランスとして活動することにしたのでしょうか?
 
その思い、人生ストーリーに迫ってみました。
 
 
 

水樹ハルが、14年の公務員経験で得たもの


 
Q:ハルさんは、著書『グッバイ公務員』の中で、今までの人生を描かれていますが、あらためて公務員時代にどんなことをしていたのかお聞きしたいです。
 
▼ハル
よろしくお願いします。
 
 
Q:公務員になってまずどんな仕事をされたんですか?
 
▼ハル
公務員になったきっかけは、中学から高校までバンド活動をしてたんですけど、メンバーみんな受験とか就活でバラバラになっちゃって、とりあえず大学に受からないとヤバイって火がついたんですね。
 
好きな漫画の影響で弁護士になりたいって思ってたものの、昔からテストで点を取るのが苦手で。。。
 
現役受験は失敗して一浪。一浪しても受験に失敗。
もう勉強に自信がないし、手に職で生きていこうと「バンドをするか美容師になる」って言ったら反対されて「公務員はどうだ?」ってなって。
 
そこから公務員の専門学校に入って朝6時に家を出て毎日終電近い電車で帰って勉強漬けの2年間を経てやっと奈良県庁の職員になれたんです。
 
2004年の4月1日の初日、奈良県庁で「辞令交付式」があって、そこで配属先を発表されました。
 
「県庁内のどこかの部署かな?」って思ってたんですけど、最初の配属は奈良県立医科大学っていうところになったんです。医大の先輩が車で迎えに来てくれて・・・看護師や臨床検査技師の人たちと一緒に移動。医大で配属先を教えてもらいました。そこで、経理の仕事を3年しました。
 
 
 
Q:以外にも、初めての仕事は経理だったんですね!簿記とかそれまでに勉強されてたんですか?
 
▼ハル
いや、全くしてないですよ(笑)
法律関係の専門学校だったし・・・「経理って何?」っていうスタートでしたね。
 
 
Q:経理って簿記とか専門知識が要りますよね?そんな状態で仕事ってできるんですか?
 
▼ハル
通常の会社の経理って複式簿記っていって、仕訳とかの知識が必要なんですけど、公務員の経理はそうじゃないんですよ。お小遣い帳みたいな、、、予算が決まっていて、そこから病院が製薬会社から買う薬代とか使ったお金を引き算していく感じです。
 
上司や先輩からの「前の年の資料見て同じようにやっといてね」って言葉に疑問を持たずに機械的に仕事をこなしてました。
 
当時は公務員の試験勉強から解放された気持ちが強くて、家に帰れる時間も専門学校時代より早いし、「働く方が勉強より楽だなー」なんて考えてました。
 
支払い期日さえ守れば特に何も言われることはなかったので。
 
あ、そういえば職場の人間関係も特に大切って思ってなくて同期の飲み会にも全く参加しませんでした。
 
職場で歓迎会をしてくれる日が研修の日で、歓迎会を忘れて家に帰ってたら、先輩から電話がかかって来て「お前今どこにおるんや?お前の歓迎会でみんな待ってるんやぞ!」って怒られたこともありました(笑)
 
それくらい、仕事に対する意識はなかったですね。
「ゴールが公務員になること」だったので。
 
 
 
Q:なるほど。そのままずっと経理の仕事をされてたんですか?
 
▼ハル
いえ、公務員ってだいたい3年ごとに人事異動があるんですよ。
 
3年働いて自分の仕事に慣れてきてたこともあって、医大に残留希望を出したんですけど聞いてもらえず異動が確定。
 
「県庁の道路の苦情受ける部署に異動や」って言われて2007年の4月から県庁で働くことになりました。
 
 
 
Q:医大から県庁とは、環境も変化したんですね。
 
▼ハル
そうなんですよ。
出向してたから県庁にいた同期とは全然連絡もとってなくて。孤独でしたねー。
そんな中、初日に苦情20件受けたんですよ。
 
今まで経理だったから、人とコミュニケーション取ることを全くしてきてなくて。
しかも係員3人ともが全員異動してきたばかりの人間で誰も業務がわからない状態。
 
相談できる人もいなくて、JR奈良駅まで泣いて帰りました(笑)
3年で10,000件は苦情を受けたんじゃないかな。
 
 
 
Q:え、係の中で誰も業務がわからないってかなりのピンチですよね!?どうやって乗り越えたんですか?
 
▼ハル
ぼくが仕事を引き継いだ先輩で鈴木さんっていう人がいて。その人に「どうしたらいいですか?」って聞きに行ってました。
 
「辛い時こそ笑えー!(笑)」みたいな自由な人で。そうしてる間に慣れていきました。
 
困ることって道路工事の図面の見方と、工事を担当している土木事務所の職員とのコミュニケーションの取り方なんですよ。
 
図面は最初は全くわからなかったけど、土木技師の先輩と一緒に工事現場に行って見方を教えてもらったりしてるうちにわかるようになってきました。ルーティンで同じことの繰り返しだったのもあって。
 
コミュニケーションに関しては、メンタル不調で休む人なんかもいましたけど、僕は心を無にしてやってたらなんとかなりましたね。
 
 
 
Q:今の一人一人に向き合って取材をするというクリエイティブな感じからは想像できないですね…。
 
▼ハル
そうですね。あと仕事のやり方を変えようとすると「前年までのやり方を変えようとすると、君が異動して引き継ぐ人が困るから変えないで」って言われて変えれなかったんですよ。だから、同じやり方でやるしかないのもあって。
 
でも、事務マニュアルをわかりやすいものにするとか、できる工夫はやっていました。
 
 
 

母の死が「どう生きるか」を考えさせてくれた


 
Q:なるほど。慣れた頃にまた人事異動があったんですか?
 
▼ハル
そうですね。2010年の4月からで僕の転機になった、精神保健の仕事に異動になります。
 
 
Q:おお、『グッバイ公務員』でも描かれていた人生の師匠と出会うところですね。配属決まった時はどんな気持ちだったんですか?
 
▼ハル
実は一番行きたくない部署だったんです。
公務員一年目の時、同期が精神保健の仕事をしている時、奈良医大に患者さんを連れてきてて大変なのを知ってたんで。
 
そのときにも、「そこだけは行きたくないわ」って笑って言ってたんです。
 
その同期がいたのは当時「健康増進課」っていう部署だったんですけど、ぼくが異動するところが「保健予防課っていうところや」って課長から言われて。
 
「あ、精神保健の仕事じゃない新設の課なんだ」って思ってたら、課の名前が「健康増進課」から「保健予防課」に名前が変わってただけで。配属された係を見たら精神保健の仕事だったんですよ(笑)
 
「ヤバイ!一番行きたくなかったのに!終わった!!」って思ってました。
 
 
 
Q:そうなんですね…。仕事はどんな風に進めていったんですか?
 
▼ハル
専門知識も何もない。
電話がかかってきた時、相手はすごく困ってる人じゃないですか?
 
当たり前だけど、なんとか対応しなきゃいけなくて。この時に対応するために、本で「傾聴」とか「信頼形成」とか、カウンセリングを勉強しながら実践で対応力をつけていきました。
 
そういうふうに仕事をしてたら2ヶ月目に母親が自殺したんですよ。
 
 
 
Q:そうだったんですね。衝撃ありますよね。
 
▼ハル
はい。それまでは「仕事なので真剣に対応してた」って感じで、どこか他人事だったんですよ。それが一気に自分ごとになりましたね。
 
母親は無理だったけど、大切な人のSOSに気づける自分になりたい。
辛い気持ちを話してもらえる人になりたい。
 
そのためには、1人1人の抱える気持ちとしっかり向き合えるようになりたい思うようになりました。
 
今、1人1人の人生に向き合って取材するスタイルや、「自分史」を作るサービスは、この時の経験が強く関係しています。
 
 
 
Q:今の活動につながる想いがここにあったんですね!他にも何かそういう今につながるエピソードってありましたか?
 
▼ハル
うーん。あ、そうですね。調書を読むのが好きでした。
 
 
Q:調書とは?
 
▼ハル
自分自身や周りの人を傷つけるおそれがある人が警察で保護されるんです。その方を車で精神科病院に連れて行く時にいろいろ話すこともあって。
 
0才〜今までの生育歴がかかれた調書でその方を理解しておくことで、病院にお連れするまで患者さんの境遇とか感情を理解して話をすればこちら側の話を聴いてくれることも多かったんです。
 
4年間その仕事をして600人の調書を読んだり、相談を受けてたんです。
 
ほんとに1人1人の人生にテレビドラマや映画以上のドラマがあって。こういう表現はよくないかもしれないけど、そのストーリーを知る中で「いろんな人生があるんだな、自分だけじゃないんだな」と思えたんですよね。
 
あと、家族関係を知ることで、「この人がここまでしんどくなるのも無理ないよな」って理解できるようになりました。
 
密着取材や自分史を作るときに、「0才から今まで」の振り返りにりこだわるのは、この経験ですね。その人の人生の一部分だけを切り取りたくないというか。
 
 
 
Q:なるほど。経理の時の主体性の無さとは一変して、かなり主体的にお仕事されるようになってますね。何かきっかけってあったんですか?
 
▼ハル
精神保健の仕事を始めて2年目の時に、尊敬できる人生の師匠が上司になったことと、同い年の精神福祉士の男性Kさんが入ってきて、一緒に仕事をしてたんですね。
 
周りの職員から「給料変わらんのにあんなにがんばってアホやな」って声もあったんですけど、そんなことを無視してバリバリ働く2人の姿に「自分もそうなりたいな、カッコいいな」と思うようになりました。なんでそんなに頑張れるんだろうって思ってたし。
 
初めて自分から話しがしたくて「一緒に飲みに行きたい」って誘いました。
 
それで、同い年の精神保健福祉士のKさんに仕事をがんばる理由を聞いたら、「友達のお母さんが死んだ時に何もできなくて、だから精神福祉士になった。仕事だからじゃなくて、人を救いたいんだから、やるよね」って話を聞いて。
 
あと、人生の師匠から「お前はどう思って仕事してるんや?」って言われた時に、「バッシングも多いし苦情も多いしあんまり誇れないんです」って答えたら、「公務員は世の中にええことをしてる職業や、ええことやってると思ってるんやったら胸張れ!」って言われたんですよ。
 
そこから少し経って、また師匠から「周りがどうとかじゃなくて、お前がええ仕事やと思ってるんやったら胸張れ。1人でできんでもええ。一緒にやろう」って言ってくれて。
 
その頃から、仕事を前向きに頑張り始めて、悩んだらこの2人と飲んでってしてるうちに、「男塾」っていう飲み会・相談チームを結成したんですよ。
 
 

コミュニティ運営、密着取材、メディア運営のルーツ


 
Q:「男塾」とは?今コミュニティを作って活動している原体験がここにあったんですか?
 
▼ハル
公務員以外の業界もあるかもしれないですけど、頑張ってると同じ公務員からたたかれることもあるんですよ。
 
そんな中で頑張りたくてもがいてる、同じような悩みをかかえる職員たちのセーフティネットつくれたらいいなと思って、飲み会を開催するようになりました。
 

写真:精神保健担当時代(係での飲み会にて)
 
 
 
▼ハル
呼びかけたらいろんな部署から30人くらい来てくれることもあったんですよ。
みんな実は辛いんだなと。
 
その時、「リトル県庁」ができるなって思って。
「それで困ってるならあの人に相談したらいいよ」って、横で支え合う文化づくりをしてました。
この考え方は、今やっているオンラインコミュニティのHACの原点になるかもしれないですね。
 
 
 
Q:人間関係の価値観とか、仕事への意識が変わっていったんですね。その後は、自分の中の変化はありましたか?
 
▼ハル
精神保健の仕事を始めて3年経った時に、師匠と同い年の精神福祉士Kさんの2人が異動になって1人になっちゃって。
でも腐らずに使命感をもって仕事できる自分に変化してましたね。
 
あとは、広報を志望するきっかけになった、夏に1ヶ月間奈良県内の民間企業で出版とか営業の仕事を体験できる研修があったのが大きかったですね。
 
奈良のローカル情報誌を発行してる会社だったんですけど、社長も社員も全員「奈良を元気にしたい!」ってキラキラした気持ちで働いてたんですよ。「公務員より公務員のマインドを持ってるなぁ」ってカッコよく思ってました。
 
当時、奈良県庁としては、広報誌はあるけど、Twitterがフォロワー数500人、Facebookページがない状態。出版社での仕事を経験して、奈良県を活性化するには人の動きを作らないと行けなくて、そのためにはメディアが必要だとわかったんです。
 
「役所も自分のメディアを通して情報発信していかないといけないんだな」って思って。
だからWEBメディアの仕事がしたいと思って、次の人事異動で広報に希望を出しました。
 
 
 
Q:今まで全然希望の部署にいけてないんですよね?その希望は、通ったんですか?
 
▼ハル
これが通ったんです、期待もしてなかったんですけど、行きたい理由をめっちゃ書いたんですね。それで希望が通ったと思ってたんですけど、実はいろんな人が僕のことを推してくれてたみたいで。本当に感謝ですね。
 
 
 
Q:広報課ではどんな風にお仕事されたんですか?
 
▼ハル
Facebookページが無かったんです。「住む地域によってSNSで情報取得の差がつくのはマズイな」って危機感を持って。だから「Facebookページを作りましょう」って上司に伝えてたんですけど、役所で新しいことを始める時は、すごく大変なんですよね。
 
みんな忙しいんですよ。なかなか相談の時間も取れなくて、ネットのことなのでわかってもらえなくて、10ヶ月ほどかけてFacebookページ「まるごと奈良県」と、Twitter「せんとくんのつぶやき」で発信できるようになりました。
 
その時はまだこんなにSNSが広まってなかったし、役所内では「広報誌が一番すごい」っていう感じで、「ネット=遊び」っていう印象でした。
 

画像:Facebookページ「まるごと奈良県」
 
 

画像:Twitter「せんとくんのつぶやき」
 
 

写真:奈良県庁屋上にて
 
 
▼ハル
「役所内では何やってるかわからん遊んどるやつ」みたいな風にも思われてましたね。
 
でも「WEBには可能性がある」って思いながら、PRの勉強をしてコツコツフォロワーを増やしていってたんです。
 
 

写真:奈良県庁前にて
 

 

写真:PRの勉強と実践に費やしたのは3年7ヶ月で10,000時間以上
 
 
▼ハル
一番やっててよかったなあって思ったのは、2017年の10月に台風で大和川の氾濫が起こった時のことでした。
 
それまでにTwitterでコツコツせんとくんをインフルエンサーにすることを目指しながら、フォロワーのみなさんとコミュニケーションをとっていたので、台風の被害状況とか道路の状況を夜通しリアルタイムで発信すると、みんなリツイートしてくれたんです。
 
おかげさまで奈良県内に住んでいる市民のみなさんに情報届けることができました。
これからの時代は、役所だけで発信するんじゃなくて、みんなで発信する時代なんだなって実感しましたね。
当時「せんとくん公務員の鑑」ってネットニュースにもなったんですよ(笑)
 
 

写真:広報担当時代
 
 
▼ハル
役所内では評価されない職員なのに、役所外では「ありがとう」って言われるわけで、「これで良いんや」って確信しました。
「上司貢献ではなくて、社会貢献が公務員の仕事だ」って。
 
「情報発信ってめっちゃおもしろいな!次はどんなことで社会に貢献できるかな!」って思ってたタイミングで、その半月後に人事異動がありました。
 
 
Q:それだけ実績だしてたら、広報担当として継続になるんじゃないんですか??
 
▼ハル
でもね、違ったんです。
県庁内の生活保護の担当の部署に配属になりました。
 
 
 

退職理由は、やりたいことが見つかったことと時代の変化


 
Q:また福祉? まちづくりとか観光とか、外向けの発信の担当になるならわかるんですけど、適所配置にはならないんですか?
 
▼ハル
決して、生活保護の仕事を低く見ている訳ではないんです。
でも、「前年と同じように対応してね」って言われて、マニュアルをみながら機械的にルーティンで行う仕事だったんで「これ、自分じゃなくていいんちゃうん?」って思ったんですよ。
 
人事課にも聞きましたよ。
「なんでぼくはこの部署になったんですか?」って。
 
そしたら、「組織の決定だから」という答えだったので、「あ、自分だからこの仕事をしてもらいたい」っていう理由じゃないんだ。「駒としかみられてないんだな」って感じて。「広報のスキルも活かせないから1年で異動させてくれますか?」って聞いたけど、「前例がないから難しい」という答えでした。
 
 
 
Q:職員の希望よりも慣例が大事だったんですね。
 
▼ハル
3000人以上もいる組織なので無理もないとは思うんです。
でも、ぼくとしては、「希望の部署に異動できないってことは、あと3年は同じことの繰り返しなのか?」と思うようになっちゃって。
 
これから時代は大きく変わるのに、この組織の中で働いて3年経った後、「自分に何が残るんだろう?」って考えたら、辞めないことの方がリスクだったんですよね。
 
 
 
Q:公務員になった当初と比べて、かなり意識が変わってますよね。長年勤めたのに辞めることは怖くなかったんですか?
 
▼ハル
2016年くらいから、これからの時代は、「ストーリー」で差がつくって確信してたんですよね。
広報担当をしていた時に、30年トマトを作っている農家の方を密着取材をして発信したら「この人のトマトはどこで買えますか?」ってデスクの電話に問い合わせが入ったんですよ。
 
「トマトはスーパーで買えるのに、この人のトマトが食べたくなったのは、農家の思いや舞台裏の努力が見えて感動を生んだからだ」
 
品質と価格が同じくらいであれば、友達、好きな人、ファンになった人から買うんだ
 
「だったら、この人から買いたい、この人に会いたい」っていう感情を湧かせる記事とか動画を作ってサポートする仕事がしたいし、そういう時代になるっていう実感が湧いたんですよね。
 
やりたいことが明確だったんです。
 
 
 
Q:なるほど。でも準備されてフリーランスになったというよりは、自分の気持ち優先したタイミングでの決意したんですね。
 
▼ハル
辞表をだして、年休を使わせてもらえたので、Twitterを本格的に始めていろんな人と会って独立後の準備をし始めました。
 
役所の外で、カフェバーオーナーや、看護師、システムエンジニアとかカレー屋とかいろんな人たちとの出会いで、「役所の常識って本当に狭い世界でしか通じないんだな」って思って、世界が広がっていきましたね。
 

写真:(2018年2月)スナックキャンディ京都にて。この頃の出会いが翌年5月に大きな転機をもたらす・・・。
 
 
 

次回(後編)


 
14年勤めた奈良県庁を退職したハル。
待ち構えていたのは、公務員とは180°違う実力勝負のビジネスの世界だった…。
 
果たして、どのようにして、フリーランス1年目で出版社のツテも全くない状態から著書を全国出版し、オンラインコミュニティHACを運営できるようになったのか?
 
次回(後編)に続く!
 

(画像:2019年1月11日の産経新聞掲載)
 
 
▼公務員を辞めてフリーランスになった理由(後編)/水樹ハルの人生ストーリー
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