病院勤務だけが看護師の進む道じゃない/大工原美紀の人生ストーリー
Q:病院勤務以外のナースの働き方や生き方が知りたい。
食事・予防医学の側面から活動されている人のストーリーを知りたい。
***
「食べたものから身体はつくられる」
先進諸国で、がん患者数が増えているのは日本だけ。
また、増え続けるアトピー、アレルギー、メンタルの不安定さや、ガン。
自分や子どもの口に入れるものをしっかり選びたい人も増えているのではないでしょうか。
しかし、栄養をしっかり効果的に摂れる方法を知る機会も少ないというのが実情。
そんな中、看護師として富裕層向け健常型シニアマンションで働きながら、公に食の大事さを伝えているのが、健康予防管理専門ナースの大工原(だいくはら)美紀さん、45歳。
ご自身の子育ての中でも食事の大切さを実証され、発達障害と疑われたお子さんも現在、進学校で上位の成績をおさめています。
病院勤務ではなく、新しい形で健康を伝えるナースの働き方とは?
目次
なぜ看護師になったのか
▼大工原
まず、実母が看護師だったんですけど、7歳の時に離婚して、家を出て行っちゃったんです。
小学校3年生の時に、マンションの通路で「お腹が痛い」とうずくまっていたら、住民で市立病院のナースがたまたま通りかかり、「大丈夫?」って声をかけ、家にあげてくれたんです。診断は盲腸で、、、病院に運ばれたんです。それが初めてナースと直にふれあった時ですね。
▼大工原
その時の病院ナースの印象って、「痛いよ」って伝えても「ちょっと待っててねー。」とあんまり来てくれない人たちだったんです。だからナースという職業に特に良い印象も持ちませんでした。
Q:なるほど、大工原さんはどんな学生でしたか?
▼大工原
学校では手も上げられないくらい内向的で、自己肯定感がかなり低い子どもでした。
というのも、この時の母親は、私を産んだ実母ではなくて、父が結婚相談所で出会って再婚した人で、臨床検査技師だったんですけど、自分の家なのにテレビとか電話とか電化製品など、光熱費がかかるもの全部制限されていました。
「あれダメこれダメ」ってイジメられたり、食事もおやつも自分の思い通りにならなかったんです。私も負けん気が強いので 素直に言うことを聞かないし、可愛くなかったんだと思います。継母と父の間に生まれた弟にはすごく甘かったし、塾にも送迎付きで通わせていたんですけどね。
あと、私、体育の授業が苦手で、13歳の時に足を複雑骨折するんですよ。
足を動かせない時に、「2本の足が動いてただけでもありがたかったんだな」って自分の幸せに気づきました。その時、ナースがすごく優しくしてくれてたんですけど、まだ自分自身がナースに「なりたい」とは思ってませんでしたね。
公務員試験の合格を捨てて看護師への道へ
Q:進路を考えながら徐々に決まっていった感じですか?
▼大工原
んー、中学の成績はクラスで3番目くらいだったんですけど、継母から「女の子は学歴なんて必要ない。私立にも行かせられないし、大学に行くお金もないからね。」って言われて、塾にもいかず、高校のランクを落として安全圏の公立の高校に進学したんですね。交通費のことも高いと色々言われると思って。交通費の安い近所の学校を選んだんです。押さえつけられて育って、正直大人に対して顔色を伺う子供で、皆んながどう考えているのか分かってしまうし、生きるのもしんどかったですね。
高校に入ってからは、アルバイトばかりして全く勉強してなかったので、先生から「このままじゃ進級できないよ。」と言われてました。自宅には自分のくつろげる場所は無かったし、継母と離れられることもあって、夏休みは高原のリゾートで住みこみで働いて、月20万円くらい稼いでいたんです。
そんな私を見て、公務員の父が「高校を卒業したら公務員はどう?安泰だよ」と言ってきたんです。
Q:え?最初は公務員になろうとしていたんですか?
▼大工原
はい、高校は進学校の就活コースだったこともあって、「それなら大学に行かなくても大丈夫なんだ」と思って、地方公務員の初級(高卒程度)問題集を買って繰り返し勉強して、郵便局と、神奈川県の川崎市の内定決まってたんですけど、、、公務員って具体的にどんな仕事するかイメージできなかったんですよね。魅力を感じない。そんなふうに思っているときに、職員室前に貼り出されてた都立の看護学校のポスターの推薦募集案内を見たんです。
推薦科目が、現代文・生物・数学の評定平均。どれも奇跡的に得意科目だし、受験料や学費も安い。「これならいけるかも」って思って受けることにしました。推薦入学で、ラジオ体操と小論文、面接だけで受験できたんで、受かったんですよ。
そのポスターに出会わなかったら私は看護師になっていませんでしたね。
ポスター見たときに初めて、
「実母がやっていた看護師の仕事を知りたい」って思ったんですね。
予備校に通う同級生を横目に、私だけ11月には進路が内定して、また一段とアルバイトに精を出すんです。笑
実は私は学生時代に過食嘔吐を繰り返していました。
窮屈で、自分の人生を生きて来なかった。頑張り屋さんで責任感がつよくて、周りは全てOKだけど自分は全てダメ…
カウンセリングとか、性格テスト、ストレスチェック全て問題あり。
児童相談所にもお世話になったことも。
人が生まれてくるのは当たり前じゃない
Q:奨学金をもらいながら都立の看護学校に通ってたんですか?
▼大工原
アルバイトして100万円を貯めて、東京都青梅市(おうめし)っていう東京でも山奥に住んで3年間通いました。奨学金は2つあって、都立の看護学校から毎月3万5000円と、昔に足を骨折した大学病院から毎月3万円受けられたんですね。
学校卒業後は、その大学病院に就職して、2年間お礼奉公しました。
▼大工原
そこで、産婦人科に配属になって、癌や不妊、異常分娩をみて、「人が生まれてくるのって当たり前じゃないんだ」って思いましたね。
看護師として勤務しながら下積みをしていくんですけど、全く家に帰れませんでした。24時間っていったら大げさかもしれないけど、当時は医者も2日間ぶっ通しで働くとか普通でしたからね。頼まれると断れないとか負けず嫌いな性格もあって、仕事の終わりが見えなくて燃え尽き症候群になっていって。。。
後から良く考えてみると、人一倍自尊心が低いので、人が離れていくのが不安で、誰からも過剰に必要とされたくて、「認めて欲しい→がんばる→辛い」ってループにドップリとハマっていましたね。
NOと言えなくて八方美人だし、人を信用することも出来ず、コミュニケーションが苦手で‥
冷めた目で人を見るところがあって、お酒とかギャンブルや恋愛にハマらないように距離を置いたりしていて。ドライな面もあります。
Q:産婦人科で勤務して、人生ドラマを目の当たりにしましたか?
▼大工原
そうですね、問診時に産婦人科だけが知れることって多くて、これまでどう生きてきたとかも含めて女性のストーリーを知りましたね。赤ちゃんが生まれてくる一方、ガンで亡くなる人。まさに人間の生き死にを1日に何度も見てきて。こちらで「おめでとうございます!」と言ったら、あちらで「御愁傷様です」ですから。浮き沈みがすごいですよ。
病院勤務だけが看護師の進む道じゃない
Q:その時の経験が、食事を大事にすることのキッカケになったんですか?
▼大工原
その経験もそうですけど、28歳の時に長男、30歳で長女を産んだんですけど、長男が3歳児の健診時に「発達障害かも」と言われて、保育園の先生にも「多動なので専門家に見てもらってください」って結構キツめに言われたこととか、長女が卵アレルギーでアトピー体質だったので、食事を大事にしようと思ったんですね。でも、その時は独学レベルでした。
▼大工原
あと、9個上の旦那さんのお母さんがナースで、結婚した時にはもうガンで亡くなってたんですけど、老年期の性について日本で一番最初に調査・研究していたんです。フリーランスナースの先駆けですよね。
私と誕生日が一緒で運命的な気がして、病院勤務以外での働き方を考えるようになりました。
Q:病院勤務以外ではどういうところで働かれましたか?
▼大工原
精神科医で小説家の北杜夫さんとお会いして、握手してその1ヶ月後に亡くなられたんですけど、本を読んだりしてたら日本の介護のことに興味が出てデイサービスの施設に転職したんですね。そこでがんばってたら管理者になったんですけど、その経営している家族は儲かるけど、利用者さんには還元されない。
だから、認知症の方が50人ほど入居されている老健施設に転職したんですけど、「人間ってこうなってしまうのか」「年をとると幸せになれないの?」と思って、待機型の応援ナースとしても並行して働くことにしたんです。
訪問看護、入浴・デイとかいろんなところに働きに行ったんですけど、どこもいいところがない。そう思っている時に、老健のある入居者さんが施設から出て自殺しちゃったんですよ。
それで、「幸せに暮らしている人はいないのかな?」と思って、探してたら高級シニアマンションを紹介してもらったんです。
必ずしも医療が必要というわけではないんですけど、見守りしてくれたりするので孤独死の予防がついた「終のすみか」ですね。
今はそこで働いています。
食事は人生を変える
写真:HAC 山田理早(左) 元看護師・助産師
Q:食事とかは独学で学んだんですか?
▼大工原
もう15年くらいになりますけど独学でやってきました。
『食品の裏側』という本があるんですけど、この本に添加物とか甘味料のことを勉強したり。
▼山田
「砂糖の何百倍、何千倍」みたいなそういう物質が脳を攻撃するとか、萎縮させてしまうんですよね。血糖値の触れ幅も大きくなるし、キレやすくなってしまうこともわかってるし。
▼大工原
結局、長男は発達障害ではなくて、中学二年生の時は、オール3だったんですけど、食事を気をつけ続けたら、卓球が強いと有名な高校の部長になったり、成績もベスト5に入るくらいに変わっていったんです。
アトピー体質だった長女も、食品科の高校に行ってます。料理を作ったりケーキを焼いてたり、特にこちらが何も言わなくても、自分で道を進んでますね。
こういった実体験から、「食事で人生は変わる」って本気で思って、40歳を過ぎた頃から「健康予防管理専門ナース」として伝えたりサポートする活動をはじめました。
Q:これまでの経験から、どれくらいの期間で身体・メンタル面に影響が出てきますか?
▼大工原
インストラクターとして活動していると、3ヶ月食事を変えたら効果が出てきます。
赤血球って120日で入れ替わるので。
5年くらい付き合いのあるバーのマスターが、「これまでいろんな人見てきたけど、元気が無くなっていく人が多いけど、大工原さんは性格も明るくなったし、楽しそうだよね」って言ってもらえるのも、食事で栄養をしっかり取っているからだと感じてます。
私も昔は過食嘔吐とか、メンタルが崩れていたので、同じように悩んでいる人を助けたい気持ちが強いです。
今後の夢・目標
▼大工原
今って、オーガニックとかよく耳にすることが増えてますけど、子どもが口にするものとして考えたらかなり危機的な状況なんですね。カロリーは取れていても、栄養は取れていないことも多くて。
精神面で見ると、子どもも大人もイライラしている人が多いし、メンタルが不安定な人も多い。身体面で見ると、IT化が進んで運動することも減ってるので、成人病や肥満になる人も多いし、あと不妊や少子化も進んでますよね。
そんな時代だからこそ、私は自分のこれまでの経験と食事の知識を通して、必要としている人に情報を届けていきたいし、「あ、これ大事だな」「やってみようかな」と気づいてもらえたらうれしいです。
企業も利益より消費者の健康を考えているところもありますから、本当に良いものを一緒に届けていきたいですね。
お子さんの食事やご自身の健康で困っていることがあればご連絡ください。
大工原美紀プロフィール
看護師歴24年。学生時代、家族関係の難しさにより過食嘔吐を経験。
自身の子育て経験をキッカケに培った食事の大切さを伝える健康予防管理専門ナースとして活動中。
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090-8729-4023
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