ぼくは大人になりたくなかった会社員/山口 嘉竜の人生ストーリー
Q:世の中の大人でワクワク働いている人と出会えたことがないのでポジティブなイメージが湧きません。
ワクワク働いている会社員の人生ストーリーを知りたいです。
***
多くの会社員が土日を楽しみに働き、「楽しく働くなんて無理」と思っている時代。
でも、本当はみんなワクワク働きたいと思っているのではないでしょうか。
山口 嘉竜、30歳。
彼も過去、1人で悶々と悩んでいた会社員でした。
しかし今は会社員としてワクワク働いています。
どのようにして、自分を変えることができたのでしょうか?
その人生ストーリーに迫ってみます。
目次
子どもの頃は「仕事=面白くないもの」と思っていた
▼山口
今でこそ働くことは最高に楽しいと思えているんですけど、子どもの頃は「仕事=大変なもので面白くない」って思ってました。
小学校1年生くらいだったかな…。
父が毎日疲れた顔で仕事から帰ってくるんですね。
▼山口
疲れ、ストレスが溜まっていることが子どもながらにわかりました。
だから、「大人にとって仕事はしんどいものなんだ」ってすごく思ってました。
母も「お父さんは仕事で頑張ってて、偉いんだよ!」って言っていましたし。
あと、周りの大人たちが「明日からまた仕事やなー、嫌やなー!」って言っているのを聞いて、「仕事ってしんどいものなんだ。大人って大変なんだ。」っていうイメージが固定していったんです。
だから、「大人になりたくないなー。仕事したくないなー」って思ってました。
Q:学生時代に職場で働く大人の姿を直に見たことはありましたか?
▼山口
14歳の時に職業体験があって、ある大手電機メーカーの見学をした時に、社員さんが炊飯器の品質検査をされてたんですね。
1日8時間、一言もしゃべらずに同じボタンを押し続ける作業をやる。自分が経験して、めっちゃ大変で、大人になってこの仕事をずっとやり続けると考えたときに「ゾッ」としました。。
それがきっかけで、勉強したり、就職のことをよく考えて行動しないと、機械的な作業しかできなくなってしまうって当時は思いました。危機感を感じました。
それがきっかけで、それまでは1学年150人中100位以上の成績だったんですけど、中学3年生の夏休みから1日12時間くらい勉強して学年のトップ20に入れるくらいになって、住んでいた市で1番の学校に通うことになりました。でも合格者320人中316位とかギリギリで高校に入ったんで最初は勉強についていくのが大変でしたけど。
高校からアメフトを始めてそこで自分の存在意義を感じたし、自信もついていきました。
イジメたらイジメられ、仲間が大切だと痛感
Q:アメフトをやってたんですね。どういうところがおもしろかったですか?
▼山口
僕の人生で大切にしている価値観の一つは「適材適所」なんですけど、これはアメフトから芽生えました。
アメフトではルール上、いろんなポジションがあって、ぼくは「ライン」を担当してました。
縁の下の力持ちっていうか、突撃してくる相手を止めたり、ボールを持って走るチームメイトの進路をこじあけたり、自分でゴールを決めたりするポジションではないものの、チームの力を結集し、相手に打ち勝つところがすごくおもしろかったですね。
「仲間」の大切さと、人間は誰しもが「強み」と「弱み」を持っている。それを適材適所でチーム一丸となる楽しさと喜びを強く感じました。これは今でも変わらない価値観です。
▼山口
でも…ちょっとカミングアウトするんですけど、ぼく中学校の頃はいじめっ子だったんですよ。
Q:イジメられる側ではなく?イジメてたんですか?
▼山口
はい。中学時代に。
その当時にイジメてた子には本当に申し訳ないと思っているし、自分は最悪なやつだったなと思うんですけど、イジメていた時期がありました。
当時は運動も勉強もそんなに突き抜けてるわけでもないし、自分に自信がなかったんですね。でもみんなの輪の中心でいたかった。
▼山口
小学校から空手をやってたこともあって、当時は腕力だけしか誇れるものがなくて。
認めてもらって、何とか輪の中心にいようとしてたという感じです。
でも、ある日から思いっきりイジメられました。
机をカッターナイフで切り刻まれたり、上履きがなくなったり。
あと、夏休みの宿題を出したのに、ぼくのだけ紛失したり。
先生からも「山口はイジメっ子で悪いやつ」っていう先入観を持たれてたので、助けてもらえず。(笑)
Q:なるほど。その経験から友達って大事だなと痛感したんですか?
▼山口
そうですね。痛い目を見た分、心の底から仲間の大切さに気付きましたし、これからは本当の仲間を作りたいなって、いじめがきっかけで思いました。中学時代のこの経験がなかったら、ここまで「仲間にこだわる価値観」は持ってなかったと思います。
高校3年の時には、アメフトで自信もついたし、勉強についても「やればできる」って思えるようになって。
それから成績も上がっていきました。
35kgのダイエット成功で自信を取り戻した
Q:大学でもアメフトは続けたんですか?
▼山口
それが、腰のヘルニアでドクターストップになって断念しました。
高校3年生の時の最後の試合で、プレイ中に激痛がはしったんですね。そこで退場したらよかったんですけど、無理してしまって。
当時は少し誇れたのがアメフト。それができなくなって自信がなくなったのに加えて、残ったのは102kgのデブの自分。
大学1回生で、周りのみんなは彼女ができる中で、僕は全くモテない。笑
それでさらに自信もなくなりました。
▼山口
でも、それから人生を変えると決意して、6ヶ月で35kg痩せることができたときに、自信を取り戻したんです。
同時に「人生で無理なことってないんだ」って本気で思いました。
Q:どうやって痩せたんですか?
▼山口
やったのは次の3つです。
・1日10キロ走る
・毎日ビリーズブートキャンプをする
・1日の摂取カロリーを1500キロカロリーに抑える
ダイエットに成功してからは見た目のコンプレックスも克服したから、堂々と振舞えるようになりました。
彼女もすぐにできました。笑
臆することがなくなったので、色んなバイトや、サークルも5つに所属するようになりました。外見もさることながら、内面が一番変化したと思います。
最も人生が激変した「ボディーメイク」の実経験を伝えるために、社会人になってからは、「栄養学」「スポーツ科学」をしっかりと学び直して、ボディーメイクのコーチ(パーソナルトレーナー)として、活動もしていました。
▼山口
大学4年生の時に「うらじゃ」というお祭りの踊り連を仲間と立ち上げて、みんなで「0から1」を作り上げていくのがめっちゃ楽しかったんですよ。振り付けから、衣装とか楽曲とかもみんな自分たちで考えて、1つの演舞を創るんです。
仲間と一緒に1つの目標に向かって、一致団結して頑張る過程とか。
大勢の同志と0→1の価値を創って、誰かの心を動かす喜びを味わいました。
高校のアメフト、文化祭。大学のうらじゃ、「仲間と一緒に0→1の価値を創ることが本当に好きなんだなぁ」って、感じました。
誰よりも就職の準備をした。だけど現実は…
Q:就活はうまくいきましたか?
▼山口
電気電子系の専攻だったんで大学院に進学することを決めていたんですけど、大学3年生から企業のインターンシップとかに参加したり、「PRESIDENT(プレジデント)」を愛読したり、「働くこと」への意識は高かったと思います。
大学院での就活は周りは推薦で数社しか受けない中、僕は色んな分野の企業を視野に入れて、悔いのないぐらいやり切りました。
当時は親や周囲の影響もあって、大手有名企業を10社ほど受けて、面接に進んだ企業には全部受かり、第一志望の企業に内定を無事にもらいました。
Q:なぜそこまで頑張れたのですか?
これだけ頑張れたのは、子どもの頃から感じていた「働くのは楽しくないもの」っていう未来を変えたかったんです。
興味のある企業に内定した人を探しては、見ず知らずの研究室の先輩を訪問して、企業のことを聞いて回ったり、情報を集めたりしました。
それでも正直、「早く卒業して入社したい!」と思える仕事は見つかりませんでしたが。。。
Q:入社して社会人になってみてどうでしたか?
▼山口
第一志望の会社に入ったものの、正直、土日を楽しみに働くのが現実でした。
やりがいはそこそこ感じていた一方で、「働くってこんなもんなんかな。」と思ったり、「ワクワク働く」という感じではなかったです。
さらに、働いていく中で、ある大企業に就職した大学の時の友人が病んだり、つぶれたりしているのを見るんですよね。
いろんな葛藤がありましたが、入社当時から希望している部署があって、そこにいくまでは何があっても我慢しようと決めていたので、がむしゃらに頑張りました。
そして、入社4年目の時に念願だった希望の部署に最短で配属されたものの、待っていた現実を見て
「やっぱり、ワクワク働くなんて無理なんだ。これがサラリーマンか」って感じで。
これからの人生が一気に闇に閉ざされた感じで、お先真っ暗に感じてしまいました。
「俺の人生ずっとこんな感じでいくんかな?」って思ったり、
何度かは「このまま電車に飛び込んだ方がラクなんかな・・・」って思ったりするほど気が病んでしまっていました。。
「このままじゃヤバい」って思って、転職とかも考えるんですけど、今の延長上の仕事のオファーしかなかったり、パットする仕事もなく、つらい時期でした。
今振り返ると、いくらでも選択肢はあるけど、「その探し方を知らないだけ」って感じですが。
当時の経験があるからこそ、個々人の「強み」、「やりたいこと」、「人生観」を明確にして、企業とお繋ぎするキャリアコンサルタントの仕事をライフワークとしてできています。
そんなこともあって、当時に選択したのは本業を続けながらの「複業」でした。でも、いろんな異業種交流会に参加するものの、ネットワークビジネスの誘いのために参加している人としか出会えなかったり、
著名人のビジネス書を読んで奮起するも、明日から具体的にできるステップが結局分からずじまいだったりで迷走していました。
▼山口
そんな中、大西タケシさんという人に出会って。タケさんは元会社員から起業をした人で、すごく人生を謳歌していて。
「こんな人生や生き方もあるんや!」ってぼくの身近なロールモデルになりました。
いい意味で、「自分にもできるかも!」って初めて思えて、ようやく1歩を踏み出す決意が出来ました。
会社の外での出会いと複業で世界が広がった
Q:それから会社外での活動を始めるんですね。
▼山口
そうです。まず親族や信頼できる友達30人くらいに「俺の長所を教えて!」「俺にやってほしいことって何があるかな?」って聞きました。
「ぐっさんは悩みごとの相談に乗るのが、とても上手い!」って多くの人に言ってもらったんで、「人生の悩みを解決し、人生をワクワクさせるコーチ」っていう肩書きで「悩み相談うけます!!!」っていう活動を始めたんですけど、問い合わせゼロで、ダダ滑りしたんですよ(笑)
「〇〇の専門家」っていう打ち出し方とか集客とかも含めて、本業が技術系ってこともあり、ビジネス経験がなかったので。
その後「ファーストペンギン大学」っていうところに入って、ビジネスノウハウや相談できる仲間が見つかったんですね。
それで自分の過去の人生を変えたダイエットの経験を生かしてボディーメイクコーチ(パーソナルトレーナー)として2018年の3月から活動するようになってから結果を出せました。
100人以上の方にダイエット(減量)や、バルクアップ(増量)など、「外見だけでなく、内面を変えて人生を激変させるサポート」をさせて頂き、さらなる自信を得ることができました。
同時に「働くってこんなに楽しいんだ!」ってことを知りました。
この頃から、社内では「当たり前」のことでも、社外の人からはすごく必要とされるスキルと評価されることも知りました。
逆も然りで、複業で得たビジネス経験や対人スキルを本業に活かして、社内での業績も上がり出しました。
仕事って、「楽しい!」に変わったきっかけです。
「今まで楽しくない」と捉えていたのは自分のせいなんだとも思いました。笑
Q:会社外からの評価を得られたんですね。
▼山口
その通りです。自分では「当たり前」と思っていたことが、評価される。複業って、社内ではできないことに思い切って挑戦することで、
強みや肯定感を得て、自信につながる1つの手段だと実感できました。
1年半で約100人のサポートをやっていて感じたことが「やっぱり、仲間と共に何か大きなことに挑戦したい」ということです。
高校時代のアメフト、大学時代のうらじゃのように、
・個々の強みを活かして、適材適所で
・大きな1つの目標のために一丸となって、
・一人では成し得ない価値を生み出したい
と思いました。
そんな中で、大学時代のうらじゃの友人が、
岡山の銭湯を復興しようとクラウドファンディングに挑戦しようとしている話しを聞いたんですね。
「ぐっさんに手伝って欲しい」の一言をもらったことで、参画してめっちゃ頑張りました。
▼山口
結果は200万円/1000万円と、目標金額の達成はできなかったものの、そのメンバーと一緒に一般社団法人「コミュニティ ラポール」を立ち上げました。
http://communityrapport.sakura.ne.jp/db/
今では第二の故郷である岡山で、
・大学生に対して、内定をゴールにしない就活のサポート
・地元の隠れた優良企業と学生をつなぐイベント
・岡山の町興しイベント
など、まさにワクワクする仕事ができています。
Q:会社員でありながら社外活動もできていくんですね。なぜ内定をゴールにしない就活支援をやろうと思ったんですか?
▼山口
大学時代の就活では、あれだけ情報収集したのにも関わらず、大阪にきてからおもしろい企業や、「ここで働いてみたい!」と思う企業がいっぱいあることを知ったんですよ。
大学当時は先輩からの情報をたどる形が標準的なので、例えば、電気電子系なら家電メーカー、重電メーカー、車メーカー、インフラとかが大半なんですよね。
総合商社とか、コンサルとか、人材とか、当時知っていたら確実に就活のやり方は変わっていたなと。
今後の夢・目標
▼山口
社外の活動を通じて、新しい知識や人との繋がりも得られたし、それを会社内で発揮できるようにもなって、毎日が楽しくなってきています。
ぼくはこれまでの人生経験の中で、同じ志を持つ仲間がいれば、1歩踏み出し挑戦できると思ってます。
そういうサードプレイスがあれば世の中の会社員がもっとワクワク働けるようになると思っています。
必要なのは、身近な成功のロールモデルと応援し合える仲間だと思っていて。
当時迷走していた僕が、「こんなコミュニティーがあったらいいな」という思いから「WakWork」を立ち上げました。
https://wakwork.jp
▼キックオフイベントに密着▼
写真:WakWork共同主催の池山拓弥さん
写真:人脈やアイデアをつなぎ、メンバーのやりたいことを徹底応援
▼山口
みんなの強み・長所・特技・経験を適材適所で発揮できる、参加者の全員が主役となるような場所にしたいんです。
自分の本当の強みって、「自分の当たり前」なので、一人ではなかなか気づかないものですけど、
WakWorkでそれを見出して、伝える。
関わるうちに「私ってすごい!?」って気づける場にしています。
そして、「やってみたい!」と思っていることにの一歩を踏み出すサポートをしたいんです。
興味がある人は、気軽に連絡ください!
山口嘉竜 プロフィール
1989年生まれ、兵庫県出身。
学生時代のアメフト、岡山の祭り「うらじゃ」など、チームで1つのことに向かう経験から「仲間」や「適材適所」というキーワードを大事にする価値観を持つ。
会社員となった後、自身の働き方に悩むが、身近なロールモデルの存在から希望を見出し、紆余曲折の末、ワクワク働く会社員を体現している。
社内では
・20億円、100名規模の設備構築プロジェクトの統括
・年間1200億円の予算戦略の統括
・社内兼業で、起業チャレンジ(AI結婚マッチングサービス)
社外では
・6か月で35kgのダイエットで人生が激変した経験を活かして、「外見と内面、人生を変えるボディーメイクコーチ」として100名以上の支援を実施。
・友人と一般社団法人「コミュニティ ラポール」を起業。企業40社×学生200名規模の就活イベントなどを事業化。
・個人の新卒・転職・複業/企業の採用戦略などのキャリアアドバイザーとして述べ100名以上の支援を支援。
現在は、関西を起点に「ワクワク働く会社員」を伝播させる「実践型コミュニティー」である「WakWork」を設立し活動中。
関連サイト
任意団体「WakWork」
https://wakwork.jp
一般社団法人「コミュニティラポール」
http://communityrapport.sakura.ne.jp/db/
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