ぼくが小学生サッカークラブを経営するまで/宮本泰志のストーリー

経営者

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Q:サッカーに関わる仕事がしたいです。
クラブ運営や経営の仕事をされている人の人生ストーリーが読みたいです。

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「私にはこんな夢がある」

そう伝えたり、行動した時、

「人生そんなに甘くない」
「そんなのどうせ無理だ」

そんなふうにいう大人がいます。

でも、「やるからには世界一を目指したい」と、兵庫県神戸市で小学生のサッカーボールクラブ「プリメーラ」を経営しているのが、宮本泰志さん、23歳。

「子どもたちの夢を応援できない社会だけど、子どもたちが、夢に挑戦できる環境であり続けたいです。常に世界に挑戦できる体験ができることを約束したいし、成し遂げたい夢は、世界大会優勝です」

そう話す彼の人生には、数々の挑戦がありました。
その人生ストーリーに迫ってみます。

宮本泰志とサッカーとの出会い

Q:宮本さんとサッカーの出会いって?

▼宮本
母がサッカーが好きだったんです。W杯とかの試合があったら録画していたのを覚えてます。小学校1年生の時に、2002年日韓W杯があったんですよ。90分間ずっとみていました。当時、ベッカムがすごい人気で、ベッカムヘアーにしてました。

ウイニングイレブンっていうサッカーゲームがあって、それをめっちゃやってました。それで「サッカーしたい」って親に言ったら地元少年団のパパさんコーチのサッカークラブに入ってサッカーをはじめました。

Q:W杯とウイニングイレブンってまさに世界基準ですよね(笑)リアルのサッカーは楽しかったですか?

▼宮本
楽しいのは楽しかったんですけど、11歳の時に1回辞めるんです。
9歳のサッカーを始めたのと同時期にバドミントンもやってたんですけど、神戸市3位に表彰されて、母がそっちに熱狂してたことや、サッカークラブにビジョンが感じられなかったんですよね。優勝とか目指すようなチームでもなくて。

Q:中学校に入ってからサッカーをまた始めるんですか?

▼宮本
いや、中学1年に入ってウイニングイレブンばっかりやってました(笑)
そしたら、母にめっちゃキレられて「部活しぃ!」って。

それからサッカー部に入って、顧問の先生がかなり自由な人で3チームで交代でミニゲームをしてました。弱小チームだったんですよね、本当に。

それなのに先生が練習試合を月2、3回くらい組むんですよ。でも、そのたびに負けるんで「どうせ勝てないよ」ってチームに負け癖がついていて。

中学3年になって自分たちの代になっても、10対0とかで負けてたんですけど、ある時の試合でなんか爆発して、試合中に吠えてとにかくポジション関係なくボールにひたすら向かっていったんです。

▼宮本
その姿を見てくれてた後輩に上手い子が多くて、それでだんだんみんなのやる気も上がっていって、先生は指導してくれないけど、チームの姿勢やマインドがレベルアップしていくについれて試合にも勝てるようになっいって。

人、チームって変われるんだなっていう経験をしました。

Q:そうなんですね、高校でもサッカーを?

▼宮本
ぼくは…高校受験しないって言ってたんですよ。そしたら学年中の先生が「宮本が高校行かへんって言ってる!」って慌てだして、親も含めて話し合うことになりました。

やるからには「世界一」を目指したい

Q:なんで高校に進学しないって思ってたんですか?

▼宮本
もともと学校の勉強が好きじゃなくて、、、「これ将来役に立つんかな?」って思ってて、、、中学2年の時に、アニメの「はじめの一歩」を見て夢中になったんです。それからボクサーになるって自分の中で決めて、中学を卒業したら東京に行って住み込みで働いて、世界チャンピオンを輩出してるジムに通おうと思ってめっちゃ調べてて、サッカーは趣味で、ボクシングを仕事にして生きていこうと思ってました。だから高校受験をするっていう気持ちはなかったです。

Q:めっちゃ反対されたんじゃないですか?でも、「世界一」を目指す気持ちは一貫してますよね。それで、高校受験はしたんですか?

▼宮本
はい、受験して落ちようと思ってたんですけど、定員割れで合格しちゃったんです(笑)
そこにはボクシング部がなくて、サッカー部に入りました。最初は楽しかったんですけど、顧問の先生がミスしたらグラウンド走ってこいとか、ペナルティで管理する人で。

高校2年生の時に、地元の神戸にボクシングジムができたんで、サッカーをやめて、そこからはプロボクサーを目指す生活になりました。

Q:憧れていたボクシングを始めてどうでしたか?

▼宮本
17歳以上になるとプロテストを受験する資格をもらえるんですね。ジムに通って練習してたら「プロテスト受けへんか?」って言ってもらえたんですね。その時に、「そう言ってもらえるってことは、プロになれる実力はあるって思ってもらえてるってことなんやな」って思って、高校2年生の時に高校を辞めました。

それで、東京に行くためにもラーメン屋でラーメンを作るバイトをしながらボクシングの日々。でも、行こうと思ってた東京のジムが落ち込んでいって。で、長谷川穂積選手を育てた名コーチで、チャンピオンを育てて名誉ある賞を受賞されている人がいるんですけど、そのジムの系列で神戸にもジムができたんですよ。

Q:おぉ!まさかの神戸ですか!

▼宮本
はい、「やった!チャンスや!」って思って、そこのジムに入りました。
でも、変わってみてわかったのがジムによってコンセプトとか違うんです。

立ち方とか姿勢もそうなんですけど、攻撃的に戦うスタイルから、距離をとって後ろに重心を置くスタイルに切り替えるのに時間がかかって。。。

あと、チャンピオンを狙えるプロ選手が15人、そうじゃないプロ選手が30人、そしてぼくのようにプロを目指す人が10人くらいいたので、なかなか新人には目を向けてもらえないというか、、、以前のジムではコーチがついてくれてたんですけど、この時のジムでは一人で練習する時間が多かったんですね。

リングもプロの選手が使っていて、プロになりたいからもっと指導してもらいたいなって思ってました。

でも、19歳の時にあるチャンスがきたんですよ。

努力が実らず、闇の中を彷徨う

Q:どんなチャンスですか?

▼宮本
長谷川穂積選手の世界戦で、その対戦相手に似たフィリンピンの選手がいたんです。その選手とスパーリングをやれって言われたんですね。大抜擢で。3ラウンド戦って、手応えあったんです、ぼくの中では。

でも、ジム内の環境は変わらなくて。それで指もケガをして、病院に行ったら治るんですけど、練習してパンチを打ったら痛む、、、治らないのもあって、気分が落ち込みましたね。人生で一番キツイ時期でした。

ちょうどその時、ダイハツで働いてて、機械的な作業をしてたんですね、「これをしてたらご飯食べて生活はできるよな」って思うようになって。

Q:イメージ通りいかない日々が続いてたんですね。

▼宮本
そうなんです。一人暮らしだし、悩みを相談する人もいなかったんで、すごくネガティブになってました。で、ダイハツの契約社員の延長をするかしないかって話もあったんですけど、「いや、俺の人生こんなんでええんか」って思って、ダイハツで働いて安定することやボクシングから一度距離をとりました。

気づけば20歳になってて、「自分にしかできないことをしよう」と心機一転リスタートしようと思って、「サッカーのコーチとか運営とか経営とかの仕事ないかな?」って思ったんです。

ボクシングがくれたのは、指導者として生きる価値観だった

Q:宮本さん自身がコーチに恵まれなかったっていう気持ちもあったんですかね?

▼宮本
ボクシングもサッカーもスポーツなんで、運動神経って大事なんですけど、それ以上にコーチ、指導者ってすごく大事な存在なんですよ。それでコーチやりたいなって思って。

レアル・マドリードっていうチームのモーリーニョっていう監督がいるんですけど、サッカー選手の経験がないんですね。海外だとそういう監督って結構いて、自分にもできるかもって思ったんですよ。

Q:リアルのウイニングイレブンじゃないですか?

▼宮本
そうなんですよ、それで熱量が上がったんですね。それでコーチを募集しているクラブに申し込むんですけど軒並み不合格で。「なんでやろ?」って思ったら、ライセンス持ってないからだって気づいて。ライセンスは「D・C・B・A・S」っていう5段階あるんですけど、まずDライセンスをとりました。

それで再チャレンジしたらあるクラブで採用してもらったんですけど、そこは3ヶ月で辞めました。理由は、できたてのチームでコーチ以外の雑務がすごく多くて全然コーチのことができないし学べなかったので、これは違うと思って。自分の希望を話して理解してもらいました。

それで、次に採用になったのが、10年目のチーム。
ここで2年間365日修行しましたね、、、コーチの在り方や、向き合い方、ノウハウ・スキルについてすごく勉強させてもらいました。本当に感謝ですね。ぼくがコーチならクラブに入会するって言ってくれる子どもや親御さんがいてくれて、自信にもなりました。

でも、監督を目指しているので、そのクラブの監督が辞めないとぼくはそこに入れないんですよ。だから、自分でクラブチームを作るか、別のクラブチームで監督になるかだったんですね。

Q:その時は、どちらを選んだんですか?

▼宮本
自分でサッカークラブを作ることにしました。

その理由は、別のクラブチームから「すぐに来てくれ」って言われたんですけど、受け持ってる子どもたちがいるからすぐに辞めることってできなくて、無責任じゃないですか? それはダメだと思って。

時期をみて、2018年4月から自分のサッカークラブを作りました。


小学生の卒業アルバムに書いた将来の夢
 
 
 

“自分の看板”で歩んでみて見えたこと

Q:サッカークラブの経営って大変そうですよね?

▼宮本
実際やってみてわかったのが、チラシづくりも入会の契約書とか体験会の準備とか色々やることがあるんです。特に集客が大変です。体験会に参加してもらうためにチラシ5000枚印刷して配布して、10人来てくれたんです。

でも、誰も入会してくれなくて。「あれ?」って思って電話で問い合わせたものの、「人数がいないからね」っていうことで、「あ、クラブにどれだけの生徒数がいるかってすごく大事なんだな」と痛感しました。

以前のサッカークラブって10年の歴史があって、生徒数も多いから、待っててもっていったらアレなんですけど、入会しに来てくれるんですよね。だから経営の勉強やマーケティングをめっちゃ勉強しました。

▼宮本
そうやって発信してたら、徐々にですけど8月に1人、9月に3人入会してくれたんです。でも、その後も体験イベントとかやっていくんですけど、生徒数が増えなくて、2019年の春に、保護者の方と会議して、チーム解散しました。

コーチ・指導者としては自信があるのに、経営の壁がすごく立ちふさがりましたね。

Q:なるほど、でもまだ諦めてないですよね?

▼宮本
はい、反省すべき点としては、「なんとなく楽しくサッカーするクラブ」を作りたいわけじゃなかったんですけど、幅広く募集してしまっていたなと。。。2019年の6月に、クラブのミッションやビジョンを伝えていないことに気づいたんです。

小学生サッカークラブ「プリメーラ」のビジョンは、「子どもたちが夢に挑戦できる環境であり続ける」っていうこと。

ぼく自身、プロボクサーを目指す時とかすごく反対されたし「それは無理だよ」とか言われて正直悲しかったし、コーチにも恵まれなかったんで、世界に挑戦できる体験ができる環境を作ってやっていきたいと思ってます。

サッカーをやるだけじゃなくて、ここで挑戦することで、ゴールに向かって進むマインドとか姿勢を子どもたちにつけてもらいたいんです。人生を進んでいくには、すごく大事なことじゃないですか?

クラブチームのミッションは、「世界大会優勝」です。

今後の夢・目標

▼宮本
ここから本格的にリスタートを切らせてもらうんですど、2019年の年内の目標は、クラブに11人入会してもらうことです。

あと、うちのクラブは、月謝0円なんです。
ビジョンが「子どもたちが夢に挑戦できる環境であり続ける」なので、月謝で世界に挑戦するチャンスが左右されるっていうのも嫌で。

なので、月額1000円のオンラインサロンでサポーターを募ってます。
日本一のサポーター数の小学生サッカークラブを目指します。

入会者には、サッカークラブの日々の挑戦や裏側の話をお届けしていて、サポーターや親御さんとの交流イベントもしたいなと。

サッカークラブの経営者や監督としてっていう立場もありますが、いろんな人とのつながりを大事にしながら、子どもたちが挑戦できる環境を作っていけるようにがんばります!

宮本泰志のプロフィール

9歳でサッカーを始め、その後も継続するも高校2年生の時にプロボクサーを目指して退学。プロを目指してトレーニングをするが、指のケガが完治せず20歳の時にボクサーを辞める。そこからサッカーコーチとして活動しながら経営を学び、小学生サッカークラブ「プリメーラ」を設立。クラブのビジョンは、子どもたちが夢に挑戦できる環境であり続けること。

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