ひとりひとりの想いや才能が活かされる未来を創りたい/小泉希久也の人生ストーリー

経営者

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Q:理学療法士のお仕事や、医療業界に興味があり、いずれは経営もしてみたいです。
そんな経験のある方の人生ストーリーが読みたいです。
 
 
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大阪府八尾市にある、ひなぎく株式会社
 

 
2014年8月にリハビリテーション専門デイサービスが誕生。
その後、訪問看護・ケアプランセンターと事業拡大。
 
ここ3年間の離職者はなんと、ゼロ人。
 
 

 
しかし、設立当初はスタッフが次々と辞めていき、自分の人間性のなさを痛感した、ひなぎく株式会社 代表取締役の、小泉希久也(きくや)さん、36歳。
 
その状態からどのようにして今の離職者ゼロの経営ができるようになったのでしょうか?
 
その人生ストーリーに迫ってみました。
 
 
 

理学療法士という仕事との出会い


 
Q:小泉さんは、なぜ理学療法士になろうと思ったんですか?
 
▼小泉
もともと周囲からの評価をすごく気にする子どもだったんですよ。
赤面症だったり、多汗症だったり。小学校の頃から、テストで点は取ってましたけど、特にやりたいことはなくて。。。
 
高校は進学校に入ったものの、3年生の時にお小遣い稼ぎにハマってしまって、、、夏休みに初任給の5倍ぐらい稼いでました。
 
 

写真:高校生時代
 
 
▼小泉
それでね、成績がめちゃくちゃ悪くなったんです。
偏差値でいうと15〜20くらい落ちて。
 
「マズイなぁ」と思っていたタイミングで、友達から「理学療法士っていう仕事があるよ」って聞いて。
「面白そうだな」って思ったのがキッカケですね。
 
 
 
Q:すごいエピソードがいきなりきてビックリです(笑) その後、理学療法士にはどうやってなったんですか?
 
▼小泉
大阪府にある近畿中央病院付属リハビリテーション学院に進学しました。
 
そこの病院実習の時にね、体を動かしにくそうにしていた患者さんを、ある理学療法士さんが20分施術したら動きがガラッと変わって…。その姿に感動しました。
 
あと、直接「ありがとう」って言ってもらえる素晴らしい仕事だ!って自分のなりたい姿をこの時初めてイメージできたんです。
 
 
 

医療業界に飛び込んで見えたもの


 
Q:卒業後は、病院勤務ですか?
 
▼小泉
はい、患者さんから「ありがとう」って言ってもらえるようになって、すごい喜びを感じたんですけど、医療業界全体として、スタッフのことがあまり大事にされていない環境だったんです。
幸せそうに働いている人が少なかったのが気になってましたね。
 
 

写真:病院勤務時代
 
 
 
Q:そういう背景があったんですね。その当時の小泉さんってどんなキャラクターでしたか?
 
▼小泉
自分の理想を人に押し付けるところがありましたね。
自分の天職だと思っている理学療法士の仕事をしているのに「なんでみんな楽しそうじゃ無いんだろう?」って思ってしまっていて。
 
そんなとき病院の「教育研修委員会」が
 
・スタッフが成長する喜び
・たてとよこのつながりを創出する喜び
・たくさんの笑顔を創出する喜び
 
っていう3つの喜びを生み出す活動をしてるのを知って、百武威さんっていう医師と出会ったんです。
 
 

 
超努力家でカリスマ性があって、病院の中でも光のような存在だったんです。
 
ぼくはそういう「圧倒的カリスマ」を支えるのが好きなんです。
それからは夢中になって多くの喜びをいっしょに創り出してきました。
 
 

富士登頂から下山したら、人生が変わった


 
Q:業界に入ってみてわかることって多いですよね。その病院ではどれくらい勤務されたんですか?
 
▼小泉
9年間くらいですね。
「富士山登ったら人生変わる」とかいうじゃないですか?
 
それで登ってみて、、、
「なんも変わらんやん」って思って下山したら、人生を変える電話がかかってきたんです。
 
さっき話した、百武さんが選挙に出るっていう話でした。
それで応援するために病院を辞めて、秘書として選挙活動を始めたんです。
 
 
 
Q:え?まさかのそういう経緯で退職したんですね。選挙結果は?
 
▼小泉
開票後すぐに、、、
敗戦確定です(笑)
 
選挙ってなると、離れていく人もいるんですよね。
その時にね、浅い関係の脆さを知りました。
 
でも、人の優しさにも触れて。
 
それで仕事も辞めちゃったし、ひとり旅に出たんです。
東日本大震災が起こってから東北に全然行ってなかったんで、行って。
 

 
 
 

生と死のラインに衝撃。「ちゃんと生きんとあかんな」と思った


 
Q:被災地を見てどういったことを感じましたか?
 
▼小泉
津波が来たところまでの、「生と死のライン」をみた時、本当に衝撃で・・・めっちゃハッキリ覚えてます。
 
「こっち側にいた人は生き残れて、こっちにいた人は亡くなったんか」って。
「死」を感じて、「ちゃんと生きんとあかんな」ってすごく思いました。
 
「これからどう生きるかを考えた時、組織に入らずに自分で何かしたいな」と。
 
これからのことを考えている間は、薬剤師の彼女のところに上がり込んで、支えてもらう甘やかされた生活をしてました。
 
 
Q:人生の休憩時間って大事ですよね。
 
▼小泉
まぁ、暮らせるぐらいの給料をもらえる仕事はしてましたけど(笑)
そこは組織に頼らせてもらったというか。
 
そうしてたら、ある患者さんと出会ったんです。
勤めていた病院でリハビリ受けて退院していった人なんですけど、「あれ?全然良くなってないやん」って思って。
 
「退院後のリハビリ環境って全然整ってないんだ・・・家に近くてリハビリができる施設を作りたいなぁ」って思ってたんですけど、経営なんてやったことないし。
 
そしたら、「知り合いがデイサービスを新規オープンする」っていうから携わらせてもらいながら、勉強しました。
 
 
 
Q:リハビリを専門でやっているデイサービスがなかったんですか?
 
▼小泉
そうですね。今から6年くらい前はなくて。
「じゃー自分が作ってやろう!」って思ったんですけど、、、
 
仕事に打ち込むか、彼女と結婚するかって考えちゃったんですよ。31歳のぼくは。。。
 
 
 
Q:え?「両方」っていう選択はせずに?
 
▼小泉
はい。
「仕事or結婚」って思っちゃったんです。
 
「失敗しても大丈夫だよ」って言ってもらってるのを素直に受け止められなかったんです。
 
 
 

自分自身の正義感を人に押し付けていたことを猛反省


 
Q:「〇〇すべき」っていう考え方が出てしまったと?
 
▼小泉
はい。
生い立ちを振り返ると、父が結構「〇〇すべき」「〇〇であるべき」っていう正義感がすごく強いタイプでした。
 
そういう影響もあって病院勤務の時も、自分の正義感をすごく押し付けてしまっていたなぁと思うんです。
 
それが、デイサービス開業した時にも出てしまって、スタッフが次々辞めて言っちゃったんです。
言い訳せずにハッキリ言うと、原因はぼくの人間力です。それがなかったから。
 
 
 
Q:利用者さんは多く来所されるのに、スタッフさんがいないってかなりのピンチですよね?
 
▼小泉
そうです。
そんなぼくを見かねて佐藤さんっていう天真爛漫な女性が、心ある経営者が多く集まる「公益資本主義推進協議会」に「おいでー!」って3回くらい誘ってくれて。
 
「これだけ誘ってもらってるんだから行かないとなぁ」って思って行ったら、これがすごく良かったんです。
 
 

 
「公益資本主義推進協議会」の精神って
・売り手よし
・買い手よし
・世間よし
「三方よし」なんですよ。
 
経営者も、利用者さんも、スタッフも大事にするためには人間力を高めるしかないって気づいたんです。
 
 
 

 
Q:どんな人と出会われたんですか?
 
▼小泉
みなさん社会に貢献しながらビジネスをされている尊敬できる方ばっかりなのですが、なかでも一番大きな出会いは衣料品のリユースビジネスをされている黒川さんです。
 
経営者として、人として大切なことをたくさん教えていただきましたし、今もお世話になっています。
黒川さんのつながりでNPO法人テラルネッサンスの鬼丸さんとも出会って。
 
 

写真:鬼丸さんと
 
 
▼小泉
鬼丸さんは平和教育、地雷や小型兵器の問題に対する活動、「子ども兵」の社会復帰を支援する活動などをされてるんです。
 
世界では、紛争地域の子どもをさらって住んでいた村を襲わせて帰るところを無くし、子ども兵にしたりするような悲しい出来事がおきてて。
 
ぼくらが使ってるスマホや便利な製品のためにそういうことが起こってたり、、、そういう人たちの犠牲の中で生活させてもらってるんだなとか。
 
そういうことを鬼丸さんと出会ってはじめて知りましたし、「自分の行動が世界に繋がっている」っていうことも学ばせてもらいました。
 
 

 
▼小泉
あと、講演家をされているピース小堀さんや北海道で保険代理店を経営されている坂本さんと出会って。
 
ピースさんのおかげで人の輪が広がりたくさんの仲間にも出会えました。
 
坂本さんは、保険業界で社員がほぼ辞めないすごい経営者で、兄貴のように慕わせてもらってます。
 
黒川さん、小堀さん、坂本さんのご縁で、中心道(ちゅうしんどう)創始者の須田さんに出会い、今も現在進行形で人間力を学ばせてもらっています。須田さんとの出会いで、肚(はら)が決まりこれからの生き方が定まってきました。
 
 

過去の事実は変えられなくても、過去の捉え方は自分で変えられる


 
Q:いろんな人と出会って、小泉さんが人間力を高めたら離職が止まったんですか?
 
▼小泉
開業して次々とスタッフが辞めていくなかで「このままじゃダメだ」って自分を変えようってもがいたんですけど、「人は、本当に小手先でどないかできるもんじゃない」ってわかりました。
 
小さい頃から多汗症だったり、人の目や学校の成績とか他者評価を気にしたりするなかで自分にも他人にも「こうあるべきだ」ばかりになっていたんですね。
そんな時多くの出会いの中で「過去の事実は変えられなくても、どんな意味があったかっていう捉え方は自分で変えられる」って気づかせてもらったんです。
 
例えば「人の目ばかり気にしていた」ことはむしろ「人を観察する力が養われた」って思えるようになったんです。
 
それからは弱みだと思っていたことは強みにもなるし、スタッフみんなが才能に溢れているなって思えるようになったんです。
 
当時の「こんな想いでやっていきたいねん」は自分の正義感の押し付けだったんですけど、自分が変わっていくなかで「メンバーと共有できる想い」に変えることができてからのここ3年はスタッフが辞めてないですね。
 

 
 
 
▼小泉
結局他人を変えたんじゃなくて、「自分のあり方=人間力」を高めていくなかでの視点の変化こそが、スタッフの良さを引き出しあえるアットホームな組織づくりに繋がったと思うんです。
 
 
 

今後の夢・目標


 
▼小泉
2011年の文科省の「高校生の心と体の健康に関する意識調査」で、次の3つの問いがあるんですね。
 

 
・あなたは教師を尊敬していますか?
・あなたは親を尊敬していますか?
・自分は価値があると思いますか?

 
日本では教師や親を尊敬できて、自分に価値があるって思って生きている若者が圧倒的に少ないんですよ。
これ本当に国としての問題だなって思っていて。
 
僕らの日頃の活動からなんとかこういうことを変えていけないかなって思ってるんです。
 
 
 
▼小泉
そういうこともあってひなぎくのスタッフは医療・介護サービスの枠を超えて、八尾のまちや未来のことを思って活動してるんです。
 
 

 
 

【教育現場へのアプローチ】
八尾市内の小学校2校で授業
 
 

【親子アプローチ】
夢を見つける、叶える方法を考える
 
 
 

▼小泉
ぼくは「可能性無限大トレーナー」っていう活動もしてるんですけど、それは言うならば「夢や目標の叶え方の授業」なんです。これからは地域の中でもこういった活動をどんどんしていきたいなと思っています。
 
こないだのミーティングで、スタッフのみんなでこれからの事業を考えてたんですけど、ぼく一人の頭で考える事業内容よりも、みんなの想いをつないで生み出した事業内容の方がめっちゃいいんですよ。
 
これまで会社の立ち上げからトップとしてやってきたんですけど、選挙の時もそうですしやっぱり人を支えるのが好きなんです。
 
みんなの想いをカタチにするお手伝いが、僕の大切な夢の1つですね。
 
そのためにもスタッフのみんなの才能をさらに引き出して、経営も事業もひなぎくの枠を超えて地域みんなでやっていく、八尾モデルを作ることをまずは目標におき、日本、さらには世界を変えていきたいと思ってます。
 
『ひとりひとりの想いや才能が活かされる未来を創りたい』
 
その想いをカタチにするべく、
関わってきた医療・介護業界、そして地域、その枠をこえて仲間を増やしていきます。
 
 
 

 

小泉希久也プロフィール

高校時代に、理学療法士という職業があることを知り、専修学校を卒業後に病院に就職。
しかし、幸せそうに働いておるスタッフが少ないことに違和感を抱き新たな道を模索し退職。
東日本大震災の被災地で生と死のラインを目の当たりにし、「どう生きるか」と対峙。
知人のデイサービス新規オープンに携わるなかで起業イメージが固まり、ひなぎく株式会社を創業。
開業当初はスタッフの離職が続出するも、「三方よし」の経営にシフトした現在は、3年間離職者ゼロ。
 
 
公益資本主義推進協議会 大阪支部副支部長
可能性無限大トレーナー
JAPANコアチューニング協会 コアチューニング認定講師
中心道文武協会会員
 
 
 
ひなぎく株式会社ホームページ
中心道ホームページ
コアチューニング協会ホームページ